ひとりひとりにタネを蒔きたい。テラッコ経験者・都賀田一馬さんインタビュー

高齢者福祉の仕事で働く傍ら、TERATOTERAのボランティアとして活動されたほか、かえっこバザールや雑木林保全の活動も行っている、都賀田一馬さんにお話を伺いました。

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TERATOTERAでの活動

ーまず最初に、都賀田さんがTERATOTERAのボランティアを始められたきっかけを教えて頂けますか?

20代までは自分で彫刻をやったりしていたんですが、作る側は挫折して諦めたんです。それからしばらく完全にアートから離れていました。特に最先端のアートからは完全に離れていて。

私は高齢者福祉の仕事をしていて、在宅の高齢者支援をしている時期が長かったんですが、支援をどうするかという話を突き詰めていくと、まちづくりという話が目に入ってくるんです。高齢者を支えるにはまちの支援が必要で、それを考える必要があるんですが、そこまでやることは自分の業務としては違うということに40代後半のころにだんだん気づいてきて。そんな時に、知り合いの中で同じように地域に目を向けている人たちがいて、みんなで何かできることがないかって考え始めたんですね。私は武蔵野市にどんな活動があるかを調べるところから始めてみたら、そこでTERATOTERAを見つけたんですね。

その時初めて、アートの挫折から17年くらい時間が経って、ようやく傷が癒えたというか、ちょっと足を踏み入れてもいいかなという気持ちになって、勇気を持って説明会に足を踏み入れたところが始まりですね。

ーまちづくりのために何かできることがないかと思ったのがきっかけということでしたが、アートを通じてまちづくりに何か貢献できそうだと思って始められたということですか?

そこは少し違っていて。武蔵野市にどんな活動があるかを調べていたときにTERATOTERAを見つけたんですが、TERATOTERAの活動自体でまちをどうかしようと思ったことはなくて、ただその活動の面白さにひかれた感じですね。

しかも、ボランティアとして参加するのが非常にやりやすかった。年齢も立場も違う本当にいろんな人たちが、自分のできることで参加できた。たとえば平日はできないけど週末や夜はお手伝いできるとか。そしてその活動をやっていて自分が楽しめる。だからまちづくりを意識するということよりも、その活動自体の素晴らしさに惹かれたという感じですね。

ーその活動のなかで特に記憶に残っているエピソードなどはありますか?

エピソードというわけではないですが、一つ一つが衝撃でしたね。音楽にしても、シンポジウムにしても、まちのなかでやるアートイベントにしても、美術館とは違って、普通の生活の場にアートの方が入ってくるというイメージで。普通の人が生活しているところにアートがやってくるということに惹かれました。

ー生活の場にアートの方が入り込んでいく企画をやっている中で、そんなにアートに興味がない人にもアートが届いているという感覚はありましたか?

元々そんなにものすごく期待しているわけではないんですよ、あくまでただの通行人なので。

でも、チラッと見ただけでも、それに触れたか触れていないかで全然違うだろうなと思うんです。全く心に残らない人もたくさんいると思うんですけど、たとえ1人でもいつもと同じように家を出てそこを通りかかった人に、何をやってるんだとか、なんか変なことをやっているというだけでも、少しでも心に揺らぎをもたらすことができたら、それがいつどこでどんな芽を出すかわからない。触れたことがなければ絶対ないけど、触れた経験があればゼロじゃない。その人にとって何か影響するタネになる可能性があるということは信じてますかね。

ーまちの中にタネを蒔いていくという感覚ですか?

まちというより個人かもしれないですね。たまたまそこを通った通りすがりの人の人生に影響を与えるかもしれないという。心にちょっと波が起きるという体験。それは一瞬でしかないかもしれないけど、もしかしたら何かあるかもしれない。

ーアートを通じて、まちを変えたいというより、あくまでひとりひとりにタネを蒔きたいということですね。

そうですね。でも、そういうことが起きているまちは好きですね。それをもし面白いと思ってくれる人がいたら、まちを好きになってくれる可能性はあるなと思っています。なんにもない無機質な場所でそういうことが行われているということは、まちを好きになるきっかけになれると思うんですよ。

そこでようやく自分の最初のきっかけに戻ってくるんです。結局、隣のおじいちゃんおばあちゃんに声をかけるかって、自分が住んでいるまちが好きかどうかなんですよ。

ー第一段階としては、あくまでひとりひとりに影響を与えられたらなという思いでやっているけど、それが巡り巡ってまちのことにも繋がればなということですね。

都賀田さんがボランティアとして参加された「駅伝芸術祭」と「Really Really Free Market」(TERATOTERA ホームページより)

武蔵野市・吉祥寺というまち

ーTERATOTERAを通じてでもそうでなくてもいいんですが、武蔵野市や吉祥寺というまちについて、どういうイメージがありますか?

吉祥寺はやっぱり好きですよ。田舎から18歳で出てきて、東京で最初に馴染んだのは吉祥寺だったので、吉祥寺がいちばん落ち着きます。

武蔵野市がどういう位置付けになっているかはわかりませんが、同じ武蔵野市と言っても吉祥寺、三鷹、武蔵境で色が違うんですね。吉祥寺は家賃も高いので、そこに住める人が集まっているという側面はありますし、戦後移り住んできた人たちが長く住んでいるという側面もあります。武蔵境の方に行けば畑も広がっていれば、住んでいる人たちの様子もちょっと違う。駅ごとにそれぞれの文化を築いていますよね。三鷹駅は武蔵野市と三鷹市の接点になっていて、イメージとしてはベッドタウンという印象が強いですね。

武蔵野市には意識の高い人が多いですし、地域活動に対してもハイレベルな人たちが多いです。特に武蔵野市に長く住んでいる70〜80代の人たちの世代は、世代的に専業主婦が多かったこともあり、50代くらいで子育てが終わった頃から地域に意識を持ち始めた人たちが多くて、その人たちのレベルが非常に高い。それが次の世代につながるかというと、専業主婦も少なければ地域のつながりも弱っていて同じようにはできないと思うので、これからどうやってまちがつくられていくかということは心配ではありますが興味もあります。

ーなるほど、すごく面白い話だなと思いました。武蔵野市の中でも吉祥寺は住みたいまちと言われたりとか、若者的にはおしゃれなカルチャーを感じるまちというイメージもありますが、その辺についてどう思われますか?

その人たちが見ているのは、自分が興味がある吉祥寺という商業活動が行われているまち。でもその周辺にはずっと土着の住民たちがいて、その人たちにとって吉祥寺は商業都市としてのまちだけではなくて、秋祭りもやれば御神輿も担ぐような普通のまちなんです。新しい人たちは自分が求めているまちの良さを求めてきているので、周辺の人とのつながりも求めていない。自分が行きたいあの店やこの店には目を向けているけど、まちに目を向けているわけではないですよね。互いに見ているまちが違うので、その融合がどうなるのかというのは常にテーマだと感じますね。

かえっこバザールの活動

ー都賀田さんはご自身でかえっこバザール(子どもが「かえるポイント」を用いておもちゃを交換する会)をされていると伺ったんですが、どんな活動を、どういう意識・理由でされているのでしょうか?

きっかけは最初にお話ししたように、40代後半の頃に、何かこのまちでできないだろうかと活動を探していたときに、自分でマルシェをやってみたくなったんです。

それは自分の職場付近の人たちが、吉祥寺のまちは見ているんですが、住宅街の中にある面白い店や活動をあんまり知らないんですよ。それを知ってもらいたいというのがあって、そういう人たちを集めたマルシェをやりたいなと思ったんです。

そういうときに仲間同士で話していたときに教えてもらったのがかえっこバザールでした。かえっこバザールはおもちゃ交換なので、親子連れがたくさん来てくれます。そこに集めたお店や活動を知ってもらえたという意味で大成功だったんです。

みんなが何かをやっているところに自分も出店して、「かえっこ」をきっかけに遊びに来てくれた親子連れ世代といろんな活動をつないでいます。いろんな活動をしている人の持っている、「こんなことを知ってもらいたい」「こういうものを買ってもらいたい」といったいろんな目的とをつなぐ触媒という意味もあります。

でも、単純に「かえっこ」自体は、本来は捨てられていたはずのおもちゃを持ってくるもので、それが別の子供たちの喜びになるというものなんです。捨てないで持って行くとまた新しいものがもらえるというのは、親にとってものすごくありがたいわけですよ。大切にしていたおもちゃを手放せなかった子どもたちも、「交換しに行くよ、新しいおもちゃもらえるよ」と言われると、喜んで手放せたり「思い入れのあるおもちゃを誰かに喜んでもらいたい」と思えたりします。そういうやりとりの中で、親も子も、今まで無意識だったモノに対する思いを意識するようになるんですね、買う、捨てる、遊ぶという流れ。

そして、「かえっこ」に実際に来た子どもたちは「自分で選ぶ」んです。普段自分で何かを選ぶ機会って、なかなかないんですよ。必ずそこには親の了解がいるんです。値段だったり、「そんなのいらないでしょ」「そんなガラクタ」という言葉が必ずついてくる。

だけど、「かえっこ」の場ではおもちゃはタダだから、そう言ったことがほとんどないんですね。子どもにとっては、親が初めて「こっちの方がいいわよ、こっちにしなさいよ」なんて言うことなしに、純粋に自分で欲しいものを選べるという体験が出来る場なので、それが一つのものすごい大きい体験になるという側面もあります。だから、子どもにとっても大人にとってもおもちゃにとってもみんなハッピーな繋がりがあるんです。

ー親子連れがたくさん来てくれることの意味にはどんなことがあるのでしょうか。

親にとっても子どもにとっても、地域の大人が子どものために何かしてくれたというのはものすごく心に残るものなんですね。そのことが将来、子育てが終わってちょっと余裕が出来たときに、あるいは子どもたちが大きくなったときに、動機やモチベーションになって「自分も周りの子どもたちのために何かしてあげたいな」と思うようになったりもする。恩送りです。自分も子どもの頃近所のおじさんやおばさんに楽しませてもらったり遊んでもらった、お祭りで楽しませてもらった思い出が原点にありますね。

だから「かえっこ」やマルシェみたいなところ、コミュニティセンターでやってるお祭りみたいなところに行って「楽しませてもらえた」というものはすごい財産になるはずだというのは思ってます。親子世代は、1番楽しみを探している人たちであって、1番「楽しかった」と思える人たちです。だからこそ一番心に残る。自分が住んでいるまちに目を向ける心をどこかに養う1つになるんじゃないかなというのは思っていますね。

ー都賀田さんのまちへの思いは、福祉の仕事をされる前はいかがだったんでしょうか?

ないですよ。学生時代も大学の時代もボランティアのボの字も考えたこともないし、地域なんか目を向けたこともないし。さっきも言った「子どもの頃自分も可愛がってもらった、楽しませてもらった」ていうのを思い出すのは、いろんなことに興味を持ち始めて初めて思い出したことなので。でもだからこそ、「遅いってことはない」というのは思っています。

今「かえっこ」でも地元の学生さんたちにボランティアで手伝ってもらうこともあります。そういった活動の中で、学生の頃にボランティアに参加してもらうことで、「へえ、こんなことをやっている人たちがいるんだ」というのをそのときに知ってもらったら、10年20年30年遅れて現れてくるかもしれないという思いはあります。タネ蒔きみたいなものですね。

タネを子どもの頃、学生の頃に蒔いていずれ芽が出る人が1人でも2人でもいるのなら。自分1人の影響で1000人に影響を与えるというのは大風呂敷になっちゃうけど、1人2人10人でも何か出来たらって思う人が100人いたら、その仲間に入りたいというふうに思っています。

(都賀田さん提供)

都賀田さんの3つの活動

ー「かえっこバザール」の活動とTERATOTERAの活動で、お互いに影響しあっているところはありますか?

それぞれに影響し合うということはないかもしれないです。

自分の中で「かえっこ」は、呼び水になってみんなに来てもらう活動なんですよ。「かえっこ」を目当てに来る人たちによって何かが起きないかという活動なんですね。ターゲットが明確で、その人たちに来てもらうことによって波がどういうふうに広がっていくか。対してTERATOTERAは、「こういう人に来てほしい」というのはそんなにはないわけですよ。どちらかというとその場所にこちら側がネットを広げて、普通の生活をしている人たちに何かハプニングが起きるのを待っている。

アプローチが全く違うんですけど、どっちもすごく魅力的だと思っているんです。だから自分にとっては両方出来るチャンスがあったからすごくバランスがいいというか。

TERATOTERAの活動を「自分がやろう」と思っても到底無理なんですけど、ディレクターの方が始めてくれてそれを好きな人があれだけ集まってやれているから、自分もそこに首を突っ込んで参加できて、自分の中の欲求が満たされているわけですよ。自分が主体的にする「かえっこ」では出来ないことをTERATOTERAでやっているし、TERATOTERAで出来ないことは「かえっこ」でしているという感覚はありますね。

ーなるほど、面白いお話ですね。それは最初から意識していたことですか?それとも結果的にそうなっているのでしょうか?

結果的に、ですね。

具体的な活動の柱は3つあるんです。TERATOTERAと「かえっこ」と、あとは武蔵野市にある「独歩の森」という雑木林の保全活動にも参加しているんですね。その3つの活動の根っこは同じです。「自分が住んでいるまちを好きになってほしい」ということ。3つはみんな違うんですけど、それぞれ自分の欲求を満たしてくれています。

自分としては、人の生活と自然と文化の「接点」がどうも好きらしいんです。それぞれを一つ一つ追求したり深めたりという感覚はあんまりないんですね。だけど、それぞれの接点の面白さ、人と自然が接するところの面白さ、生活の中に自然があることの面白さ、人の生活にアートがあることの面白さとか、そういうことが好きらしい。興味が反応して、アンテナに引っかかるみたいですね。

ー雑木林の保全の活動というのはどんなことをされているんですか?

本当に小さい、武蔵野市内で唯一と言っていいほどそのままの形で残された、昔ながらの雑木林なんです。本来は薪を取るために人が手を入れて作った雑木林なのですが、時代が移るにつれて何十年も切っていないような大木がある状態になってしまいました。でも、国木田独歩が描いた武蔵野の雑木林はそういうものではないというのがわかっています。

じゃあどうやって子どもたちに雑木林を伝えていくか、保全していくかということに焦点を当てた活動です。基本的には草刈りと草むしりを行って、そこにいろんな子どもたちや大人の方々も参加しています。

ー精力的に色々な活動をされているのですね。

でも、出来る時間を使って出来ることしかしないので、自分を捧げるわけでもない。3つとも全部自分にとっての遊びで、その中で自分の思いも実現できるんじゃないかという感じですかね。だから無理する必要はない。

もともとは仕事しかしていなかったんですよ。だけど、昇任していって立場が上になっていくと、現場の仕事が少なくなっていくんですね。そうすると面白くなくなって、モチベーションが下がっていく自分がいたんです。

その時に、「どうしよう?」と悩みました。休みの日に何もせず、ただひたすら寝てみた日もあったんです。でも何にも良くならなかった。そんな時に、先ほども言ったように色んな情報に触れる機会があって、縁が繋がって。その活動を始めてみたんです。そうしたら、休みの日に活動するので疲れるかなと思いきや、どうもそうではない。結局活動をする方が自分は元気になれるというのがわかってきました。忙しくなる時もありますが、寝て過ごしたときとどっちがいいかって言ったら、断然動いていた時の方が元気なんですよね。

立場的に私も新人を迎えるわけですが、新卒の学生が初めて働きに来るときには必ず言うことがあります。やはり仕事と生活だけでいっぱいいっぱいになっちゃうわけです、最初は。しょうがないです。だけど、「仕事しかない」のはもったいない。全く違う自分の時間が、必ず自分を変える。一年前の自分とは違う自分を作るのには、仕事とは全く違う自分の好きなものに時間を作ることが絶対影響すると、よく伝えています。

みんな仕事しかしていなかったら、得られる経験はみんな同じなんですよ。10人同じ経験しかしたことない人が仕事場にいても、まったく狭い。だけど10人がそれぞれ違う自分の好きなことに時間を使って豊かな人生を送っていたら、全く違う豊かさを持った10人が揃うから、仕事の効果も高いわけですよ。

ー都賀田さんがされているような活動が、まちや社会全体で増えていくには何が大事だと思われますか?

雰囲気を作ることじゃないですかね。活動をしている人たちが楽しそうに見えると「自分も(やりたい)」と思う人が増えるのではと思います。そういうのって、言葉で伝えたり「こういうことが大事なんです」と叫んだりすれば人が増えるというのはないんですよ。だけど楽しそうだったら、みんな「やってみようかな」と思う可能性がある。自分も、楽しそうに活動しているのを見て始めようと思ったんだろうなと思います。

そういった活動の何が楽しいかって言ったら「自分がやっていることが誰かのためになる」というのがあるからです。子どもたちが真剣になっておもちゃを探していたり選んでいたりするところを見たら嬉しくなります。「やってよかったな」という気持ちが生まれる。

だからやっぱり、自分への満足感というのは「楽しい」「嬉しい」というとこだけではなくて、「活動に意味がある」というところは大きいですよね。自分一人で「楽しい」ではなくて、「意味があるだろう」と信じられるものがあるから楽しいんでしょうね。

武蔵野市や吉祥寺への思い

ー最後に、武蔵野市や吉祥寺が今後こうなってほしいという思いはありますか?

いろんな意味で豊かなまちになって欲しいです。

便利になればなるほど人ってつながる必要がなくなるわけですよ。地域とのつながりがある人、色んな人とつながっている人と、全くつながらないで生きてきた人。家庭の中でもつながりの弱い人、強い人。その中では、家族や地域とのつながりが強い人はとても幸せそうだし、いつまでも家で暮らせるんですよ。高齢者福祉の仕事の中でそういうのを見ているものだから、便利な世の中の行き着く先が最終的にどうなるのか、ちょっと心配に思うことがあります。誰も経験していないので。

だから、昔のような社会が理想だから戻ろうよってことでは全くありませんが、今それぞれの時代の中で「でもこういう繋がりはあったほうが楽しいよね」という意志を持って活動する人は増えてほしいと思っていますね。歳をとったときに、人は「自分はなんで生きているんだろうか」ということにぶつかります。「生きている意味がない」とほとんどの人が思うんです。なぜかと言うと、誰とも接しなくなるから。社会性を失っていくから。

だから、いわゆるデイサービスのような昼間集まるところに来ること。それだけで生きていられるんですよ。具体的に「あれが楽しいから」とか「あそこに行くために生きている」とかそんなことを理屈で考えるのではなく。やっぱり人は人と接しないと生きていられない生き物らしいです。それがなくなったりすると、「人生終わらせていいや」と多分みんな思うんですよ。生きている意味を感じられなくなる。

ー「そうならないように」という意味を込めての「豊かなまちになってほしい」という思いなのですね。お話いただきありがとうございました。

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