「地域」の劇場に秘められた可能性とは?〜吉祥寺シアター職員大川さんインタビュー

吉祥寺シアターは2005年にオープンした武蔵野市の公共劇場で、ダンスや演劇の公演を積極的に行う業界内で名の通った劇場です。一方でこの地域には環境浄化の歴史があり、劇場建設当初から吉祥寺の「イーストエリア」の環境改善、文化的なイメージ作りの役割を期待されていました。

職員の方へのインタビューや来場者へのアンケートを通して、吉祥寺シアターという公共文化施設が社会や地域に対してどのような影響・役割を持っているのかを調査しました。

本記事では、吉祥寺シアターの職員である大川智史さんへのインタビューを紹介します。

▶︎吉祥寺シアター来館者へのアンケート調査についてはこちら

大川智史さん

公益財団法人武蔵野文化事業団(吉祥寺シアター運営母体)職員。2017年より吉祥寺シアター勤務。

東京大学在学中に演劇サークル劇団綺畸に所属し演劇と出会う。その当時吉祥寺シアターで劇団「青年団」の「ソウル市民」を見て大きな衝撃を受けたことが、現在の仕事の原点の1つとなる。

ダンスで劇場に色をつける

--まずは、この2月に上演される「吉祥寺ダンスLAB.(ラボ)」(※1)についてお伺いします。これはどのようなきっかけで始まった企画ですか?

※1「吉祥寺ダンスLAB.」:2018年度から4年連続で開催されている、ダンス×異ジャンルをテーマにした吉祥寺シアター主催のダンス公演。

これは自分で立ち上げた企画です。

アーツカウンシル東京のアンケートの結果で、演劇と比べて舞踊を鑑賞することを習慣化している人が少ないという結果が出ていて、それは僕の実感としてもありました。お客さんが入らないと公演を打つのは難しくなってきます。劇場サイドとしてはただ待っているだけではお客さんを作れないし、利用者・利用団体は増えない、って思ったんですね。

そのときに公共劇場として、比較的若いダンサーさんや振付家さんにスポットを当てて「劇場と一緒にダンス公演を作りませんか」という企画を立ち上げることで、ダンサーさんや振付家さん、ダンスカンパニーの皆さんにとって吉祥寺シアターという場所を少しでも近い存在だと感じてもらい、ダンスに力を入れている劇場だと思ってもらいたかったというのがあります。

もうちょっと戦略的な話で言えば、公立の劇場で軸足を明らかにダンスに置いているのは東京の中でここぐらいだと思います。どこも演劇プラスアルファの部分でダンスをやっている感じなので、「吉祥寺ダンスLAB.」が若手の方の刺激になればいいなと思っています。

--「吉祥寺ダンスLAB.」そのものだけではなくて、その後公演で使っていただくことも見据えているのですね。

単独公演を打つことへの橋渡しになるように、「吉祥寺ダンスLAB.」に出演いただいた方だけじゃなくて、そこから波及して「なんか吉祥寺シアターでやりたいな」っていうふうに思ってもらえる人たちの数を増やせればなと思っていました。 

もう一つ、「吉祥寺ダンスLAB.」の企画として、コラボレーションを打ち出したのは間口を広げたかったというのがありました。ただでさえコンテンポラリーダンスは見る人が少ないので、そのまま提示しても新しい人ってなかなか増えないと思ったんですね。最初は音楽の方とのコラボレーションから始めたんですけれども、違うジャンルを好きな人がこの公演を見て「なんかダンスって楽しい」っていうふうに思ってもらえるように、違う切り口を掛け合わせることで新しいお客様を作ることを意識して企画しています。

舞台の様子。インタビュー当日、舞台上では「吉祥寺ダンスLAB. vol. 4『エコトーン ECHO-TONE』」の準備が行われていた。吉祥寺シアターの舞台はブラックボックスタイプ(客席と舞台が一体となった四角い空間)で客席数は200弱。可動式の客席により舞台を自由に設計することができる。客席の傾斜がしっかりとあり、舞台と客席の距離が近い。

--新しい作品が生まれるだけでなく、お客様の側も新しい方を取り込んでいるのですね。シリーズ化して毎年やっていくことは、最初から意図していたのですか。

創客の側面や未来への種まきは一回でできるとは思っていなくて、時間をかけて耕していく必要があるなと思っていたんです。なので定着だったり、劇場としてダンスに力を入れているってイメージ作りだったり、関係性を作るということも含めて、回数を重ねることは最初からイメージをしていました。

イメージを作っていくというのは、お客さんに対してもそうですし、実演家の人たちに対してもあります。吉祥寺シアターに少しずつダンスのイメージをつけていけているのかなと思っています。

--「吉祥寺ダンスLAB.」「吉祥寺ダンスリライト」と、シリーズ化したダンスの企画が2つあると、少しずつ変化が出てきていますね。

そうですね、それで手いっぱいみたいなところもあるんですけど、吉祥寺シアターが持っているリソースや予算規模が限られている中で、吉祥寺シアターという場所をどんなふうに見せていくのかっていうときに、あえてあまり演劇に振らずに、ダンスを作ったりダンスを育てる場所にしていくっていうことは、戦略的にありかなと思っています。

うちの予算規模、劇場の規模を考えれば例えば芸能人を軸に据えるのは現実的ではないですし、かと言って若い人達と一緒に演劇を作ってやり続けるときに、色がどこまで付くのか見えないところがあるんですけども、ダンスの方は色がまだ付くかなと思っています。

吉祥寺という街にどういう色を足せるか

--「吉祥寺ダンスLAB.」というシリーズ名で吉祥寺という地名が入っていることについて、吉祥寺という地域に対して何か意識を持っているのかということをお聞きしたいです。

イメージを作って定着させる中で、「吉祥寺シアターがやっている」っていうことをイメージさせる必要があると思います。というのも吉祥寺シアターはそれまで良くも悪くも色がなかったので、企画自体を定着させるってことももちろん必要なんですけど、その主体が吉祥寺シアターであるということをお客さんしかり実演家しかりに思ってもらうことは、吉祥寺シアターが必要な色を備えていくために、とても大事なことだと僕は思っています。

ではなぜ「吉祥寺『シアター』ダンスLAB.」じゃないのかと言うと、僕らは吉祥寺という街の劇場として、街にどういう色を足せるかということもミッションとして担っているはずなんです。それはなかなか即効性もなければ、僕や他のスタッフの意識から飛びやすいことでもあるんですけど、でも吉祥寺という街に何かを残していくことが必要だなと思っていて、僕は「吉祥寺『シアター』ダンスLAB.」にしようと思ったことは一回もありません。

「吉祥寺ダンスLAB.」が例えば10回と回数を重ねていった時に、「なんとなく吉祥寺っていう街でよくダンスを見る」とか、「毎年1回それで吉祥寺に来るんだよね」とか、何でもいいのですけど、いかに街に繋げていけるかという意識はあります。

--ちなみに吉祥寺という場所は武蔵野市も三鷹市も杉並区もある程度入ってくるような、吉祥寺駅周辺の地域かと思いますが、一方でこの劇場自体は武蔵野「市」の劇場ですよね。

それはやっぱすごい難しいなあと思っていて、基本的には前者(吉祥寺駅周辺の地域)でものを考えるようにしています。自治体に限ると狭くなってしまうというか他のエリアを排除しているようになるので。

例えば三鷹市井の頭ってすぐそこで、エリアとしては明確に吉祥寺じゃないですか。これ(吉祥寺ダンスLAB. vol. 4 『エコトーン』)も井の頭公園のほとりを題材にしていますけど、井の頭公園の池のほとりって三鷹市なんです。井の頭公園と吉祥寺っていうのはすごく結びついてイメージされるものだと思いますし、そこは狭く考えずに、むしろ広く考えたいと思っています。

--そうすると大川さんが「公共劇場として」とおっしゃるときの公共劇場っていう単語は、市の劇場であると言うよりも、もう少し広い意味ですか。

武蔵野市の施設として、ということもあるんですけれども、僕自身は舞台芸術が持つ公共性をいかに発揮していけるのかということが個人的な関心元でもあるので、「公共劇場として」みたいなことを言うときには、市の劇場としてだけではなくて、公益的な価値を持つ存在として考えています。武蔵野市民や武蔵野市だけに対してではなく、結果的にいろいろなところに波及していってこその公益だと思うので、もうちょっと広くパブリックを作っていくことを意識して劇場の仕事に取り組んでいます。

顔が見える関係

--「吉祥寺ダンスLAB.」に限らず、劇場の公演内容をどう決めているかというところについて、教えてください。

一般的な貸し館事業、公募の申し込みについては我々に選択権限はなくて、ルールにのっとってやるしかないです。そこにはキュレーションの余地はないんですね。ラインナップの価値向上を図るためにどうしてもキュレーションをかける必要があって、そのためによく言われるのが戦略的貸し館事業です。劇場の提携事業や共催事業という形で、劇場の施設使用料の一部減額や広報協力、チケット販売など、(主催団体と吉祥寺シアターが)協力しながら進めていく事業で、年に10本くらい入れるようにしています。

(提携先の選定では、)いわゆる芸術性、作品のクオリティの高さを見ています。でも作品のクオリティが高いことが保証されているとなると、どうしても実績のある方に偏ってくるんですけど、そこにいかに将来性を加味できるか考えています。今は光るものがあるし、完成度ではまだ劣るかもしれないし、外れる可能性もあるけれど、もう少し小さい劇場で実績を残し始めている人たちにとって、より大きいサイズの劇場でやってもらうときのステップになることを考えます。

ここでやりたいと思ってくれる若い人たちに門戸を開いていくために、やりたいことがあったら声をかけてくださいね、と言っています。こういう公立文化施設は公平性を求めるがゆえに官僚的になって、人間の顔が見えなくなっていることが多いと思うんです。なるべくそこに「大川さん」っていう人、誰かの顔を見せていくっていうことが、プログラムを決めていくにあたってはすごく大事だなと思っています。

他にも、これは劇場を運営していくうえでもすごく大事なことで、顔が見えないと信頼関係も築きにくいです。例えば2年前にコロナが急に流行り出したときは見知っている人同士で喋れたから、僕らとしても対応しやすかったです。公演の中止を踏まえた話をするにも、そこに信頼関係がないと劇場が一方的にやめさせようとしているみたいになっちゃうけれど、信頼関係があればお互い話をしやすいし、緊急事態にも対応しやすいです。

ネガティブな文脈だけじゃなくポジティブな話で言えば、やっぱりよりクリエイティブなことができる可能性があると思います。

地域に扉を開いていく

--次は地域から見た吉祥寺シアターにどんな変化があるのかを伺いたいと思います。

地域の方ってなかなか見えないので、もどかしさがすごくあるんですね。地域の方ともっと接点を持ちたいと思っていて、そのための取り組みの一つが「吉祥寺ファミリーシアター」というファミリー向け作品を作るものです。あとはアウトリーチで、武蔵野プレイス(※2)や、0123吉祥寺(※3)、小学校の放課後クラブに出張して上演しました。

※2 武蔵野プレイス:図書館機能をはじめとして「生涯学習支援」「市民活動支援」「青少年活動支援」等の機能を持つ、武蔵野市立の複合的な文化施設。
※3 0123吉祥寺:0歳から3歳までの乳幼児とその親を対象にした武蔵野市立の子育て支援施設。

【吉祥寺ファミリーシアターの様子】

劇場の中で待っていてもなかなか接点は作れないので、なるべく外に出ていくことやこちらから扉をひらいていくことがすごく大事だと思います。アウトリーチなどを重ねたおかげで、ファミリー向けに関しては大分定着してきたなという印象がありますね。今年度が3回目なのですが、コロナのせいか顧客リストを見ると武蔵野市民の割合がいつもより圧倒的に高かったのも変化を実感したことの一つです。

それからお客さんの反応ですかね。この作品や上演している人たちのフォーマットに対しての楽しみ方がわかってきているんじゃないかみたいな感じがあって、ちゃんと定着してる印象がありました。やってきたことがちゃんと積み上がっているのは感覚としてあって、それはすごく嬉しかったですし、方向性自体は間違ってないのかなと思えました。

--ファミリー層は、今後10年20年のスパンで何か変化があるのでしょうか。

基本的にはそれを考えています。それはこの先劇場にお客さんが世代を一つ越えてついて行くかどうかみたいな話だと思うんですよ。

というのも僕は自分が親にそうやって育てられたわけじゃないんですね。うちの両親は一切演劇に興味がなかったので、幼い頃から劇場に連れていってもらう親子関係もあるっていうことを、大学生になって知ったんですよ。大学で演劇を始めて出会った周りの人たちの話を聞くと、どうもそういう出会いがあるらしい。それを知ったときになるほど、と。それなら、演劇との出会いをちゃんと作っていれば、いつかそこの中の何人かに一人は大人になっても演劇を見続けるし楽しみ続ける。そういう出会いをちゃんと届けられたらいいなと思っています。

でもそれは種をまく作業であって、実る場所が吉祥寺シアターのお客さんじゃなくてもいいです。ファミリー向けについては、何かのきっかけづくりになればいいなという意識が大きいですね。

地域と劇場の新しい関係の築き方

地域に開いた場所にしたいという話で言えば、ステージに机を出して衣装を展示したりご飯を作ったりして、昼から夜まで劇場の搬入口を開けっぱなしにして、ステージに人が入って来れるような状態をつくり出すという企画を2018年に開催しました。そこに入ってきてくれた人とのお話をもとにして、最終日の6日目にパフォーマンスをするという流れでした。

【企画の様子。搬入口が開きステージ上に様々なものが用意されていく。】

普段開いてないあの赤い壁(吉祥寺シアターの搬入口の扉)が開いていると結構覗きこんでくれました。近くのマンションに住んでいる初老の男性が面白がって「僕ギターやるんだよね」みたいなお話をされてたんですけど、最終日のパフォーマンス終わるか終わらないかのときにふらっと入ってきて、その男性のギターでパフォーマンスを締めるということがありました。この周辺の今まで劇場のことを知らなかった人と新たな関係の切り結び方ができたっていうことへの驚きと、やってよかったという思いがありました。

【最終日に、初老の男性がギターを持って登場する様子。】

インパクトがすごい強いわけではないのかもしれないですが、そういうことがもっと定期的にやれると、好きな人だけが集まる場所っていうイメージが強い劇場のイメージやあり方を、地域の中でもう少し変えることができるんじゃないかと予想しています。僕自身はそうありたいなと思いますし、劇場は本当に好きな人だけが来る場所じゃなくてもっといろいろな人と関係を持てる場所にしたいなと思います。それが、舞台芸術にとっても劇場にとっても人々にとってもいいことだと思うんです。

--劇場を開くと聞いて、見にくるお客様の幅を広げるイメージを持っていたのですが、見る見られる、客席に入る以外の、劇場との新しい関係性を作っていくということですね。

僕はそういうことをどちらかというとイメージしていて、ファミリーシアターでやったロビープログラムにしても、ここで何かを作ったっていう感覚が子供に残ると、大人になっても「劇場って作れる場所なんだ」っていう感覚になるじゃないですか。

舞台を見る見られる見せるっていうことだけで幅を取ってしまうことって限界があると思っていて。だからそうじゃない幅の広げ方、新しい関係性の築き方を意識して企画しています。

--環境浄化など、シアター周辺の地域の歴史的な背景がシアターに影響を与えているのでしょうか。

<Column 吉祥寺東部地区の環境浄化の歴史>
吉祥寺の「東部地区」「イーストエリア」などと現在呼ばれている地域は、1970年代中頃には「近鉄裏」(近鉄百貨店、現在のヨドバシカメラの裏手、という意味)と呼ばれる風俗街であった。市民が環境浄化のための活動を続け、文化施設の周辺での風俗店の営業が禁止される法律や条例を利用するなどして、条例制定や東部地区への図書館設置に成功し、風俗店は徐々に減少した。

吉祥寺グランドデザイン2020概要版より 

たぶん市の文化政策としては、吉祥寺シアターにもっと強力な文化拠点になってほしいという思いがあるのだと思うんですけど、なかなか一朝一夕にはそれは達成できないことなので、そういう意味ではまだ道半ばだなと思います。でも吉祥寺にもいろいろな顔があるっていう中で、キャバクラとかがあることと、その流れで吉祥寺シアターがあること自体は、劇場にとってはネガティブではないのかなと思っています。

今も大人の店はたくさんありますけど、新しいお店も出てきてますし、むしろ吉祥寺シアターがもっと街の中に溶け込んで行ければと思うんですけど、なかなかエリアの中にすんなり溶け込めているとはまだ言えないと思っています。もちろん吉祥寺シアターがあることで、この辺りまで赤線地帯(※4)が伸びていないことは大きいですけど、それは吉祥寺シアターの活動の実績によるものとは違うので、僕らが求められていることは、吉祥寺の東部地区、イーストエリアに対していかに新しい色を足していけるかということだと思います。地域と継続的な関係を作るということにはまだ至っていないな、と感じています。

※4 赤線地帯:厳密には、1957年売春防止法の施行により廃止された売春を目的とする特殊飲食店の集まっていた地域のことを指す。

吉祥寺シアターからヨドバシカメラまで続くベルロードは「近鉄裏」の名残が見られる。

--地域に色を付ける、地域になじむためにどういうことが重要だと思いますか。

関係人口をもっと増やすことが大事なんじゃないかと思っています。例えばライブハウスと手を組んで継続的に何かをやるなどの打ち出し方自体はできると思うんですけど、今のところライブハウスさんとまだそのレベルで関係性を取り結べていないところがあります。

特にライブハウスは民間でお仕事をされている方たちなので、公立の税金で運営している文化施設が「何か一緒にやりましょうよ」と声をかけても、すぐ「はいそうですか」とはならないと思うんです。一緒にやっていくパートナーになるまでには、いろんなステップがあると思っていて、間を取り持ってくれる人だったり、緩やかな繋がりだったり、ちょっと助けてくれる人だったりです。

業界内に限らず、地域の中でカジュアルな関わり方をしてくれる人たちが増えてくると、もう少し変わってくるのかなと思います。最初から大きいことをやらなくてもいいし、逆に大きいことをやろうとすると継続しないので、それよりは小さくてもいいから続けていくことが大事だと思います。

--地域との関わりをもっと増やしていくために、参考にしている例や目指しているような姿はありますか。

東京よりも大都市圏じゃないところのほうが、地域との関わり方っていうのはもっと切実なんですね。

北海道のある地域では、地元の文化活動をしている人たちと東京などで活躍するアーティストをつないでイベントをやっていました。高齢化している地域ではホールが積極的に仲立ちをしないと活動や伝統が次の世代につながっていかないという危機感や、文化ホールが縮小傾向にある危機感もすごくあるみたいです。

他にも千葉県の美術館で、一般の市民の方たちが協議会に入って運営をした例があります。関係人口、緩やかなコミュニティをいかに市民の人たちと作って、受け入れてもらうかというところがすごく難しいんだと思います。結局運営が立ち行かなくなって市民運営から従来型の指定管理に戻ったんですが、一時的に上手くいっていて何かできたことがあるということはすごく面白いなと思いました。

そういう話を聞くとまだまだ自分たちにもできることがあるし、地元で商売や生活をしている人たちとアートをつなぐっていうこととか、援用できることはあるのかなと思います。吉祥寺ってそこは難しいと思っていて、吉祥寺自体はそれなりに自立しているし、色があるわけじゃないですか。なので、いかに必要なところに入っていきながらニーズを高めていったり、関係を持ちたいと思ってもらえたりするかということが大事かなと思っています。

大学時代の演劇との出会い

--大川さんのご自身のこれまでについてお話をお伺いしたいと思います。大学で劇団に入られていたということですが。

そうです。劇団綺畸(※5)に所属したのが最初ですね。

※5 劇団綺畸:東京大学と東京女子大学の学生が中心となって活動している学生劇団。

--それまで演劇になじみはありましたか。

ありませんでした。あったとしても小学校の学芸会とか。僕は大学に入る前に一回高校を辞めているんですが、高校を中退していて家に居る時間が長かったので、テレビを見たり、漫画を読んだりしていて、フィクションの世界みたいなものに憧れがあったんです。文芸や映画のサークルでも良かったのかもしれないですが、「自分が演じてみたい」というのがあって演劇サークルを選びました。それが演劇と出会うきっかけです。

--演劇サークルでは舞台に立っていたのですか。

そうです、駒場小空間(※6)で演者をしていました。だから大学の頃は制作の仕事を全然知らなくて、仕事をし始めてから制作の仕事を覚えた感じですね。

※6 駒場小空間:東京大学駒場キャンパスにある劇場施設。

--演劇を見るようになったのは大学生の頃からですか。

見るようになったのはその頃からですね。演劇にハマったきっかけとして1番大きかったのは、平田オリザさんの青年団による「ソウル市民」という作品です。吉祥寺シアターで2006年に見ました。「こんな演劇があるんだなー」と。その「ソウル市民」があまりにおもしろかったので、もう一本見に行きました。それがこまばアゴラ劇場で上演していた「東京ノート」という平田さんの代表作で、僕はすごく好きだったんです。とても感動しました。これらの作品との出会いが、自分が演劇にハマっていく決定的な要因の一つでした。平田さんの作品を見た衝撃がすごく大きくて、その衝撃がなかったらこの年になるまで演劇の仕事をしていたとは思えないですね。今の自分を作っている大きなきっかけはこの2本だと思います。

--それはお客さんとして演劇のファンになるだけでなくて、自分の仕事にすることを考えるきっかけにもなったのですか。

そうですね。そのときはお客さんとしてだったり、演劇をやっている学生として演劇にのめりこんでいました。俳優でプロになる道には進まなかったのですが、それでもやっぱりどこかで演劇と関わり続けたいという火種のようなものが残ったのは、そのときの衝撃が大きかったと思います。この経験がなかったら、そもそももっと演劇の道を突き詰めたいと思わなかったでしょうし、大学卒業後の進路にも悩まなかったかもしれないです。あとはそれを受けて、大学生の頃にいろいろ取り組んでやってみたことが大きかったですね。

吉祥寺シアターで働くということ

--武蔵野文化事業団に就職して吉祥寺シアターで働くというのは、最初からイメージされていましたか。

武蔵野文化事業団のことは知りませんでした。求人サイトを見ていたときに、「吉祥寺シアター」という文字が見えたんです。見てみたら吉祥寺シアターの契約社員の募集と一緒に、武蔵野文化事業団の正規職員の募集もあって、そのときに武蔵野文化事業団のことを知りました。「吉祥寺シアターだったら働くイメージが湧くなあ」と思って、受けてみようかな、と。

文化施設のことをちゃんと勉強したことがなかったのですが、採用試験を受けるとなって初めて書籍を読んで勉強しました。海外に関することも含めて勉強したのは、あの頃が最初ですね。

試験日程が1日ずれていたので、せっかくだから正規職員と契約職員の募集を2つとも受けたら正規職員に採用されました。5年契約よりはいろいろできることが多かったと思うので、今思えばありがたかったですね。最初の5年ぐらいは武蔵野市民文化会館で勤務し、最後の1年は文化会館の改修があって手が空いたので、吉祥寺シアターの仕事のお手伝いをしていました。1年間演劇の仕事を手伝う中で、「やっぱり演劇とかダンスの仕事がしたいな」と思って、吉祥寺シアターへの異動の希望を出しました。それで、2017年4月から吉祥寺シアターで勤務しています。

--文化施設への興味を持たれたのも、吉祥寺シアターがきっかけですか。

今思えばそうですね。最初は「文化に関わる仕事がしたい」くらいの漠然とした感じでした。もともと僕は地方の出身で、大学で上京してきて最初に住んだのが三鷹台なんです。だから、吉祥寺にはよくご飯を食べたり、買い物に来たりしていてすごく馴染み深い場所だったんです。吉祥寺シアターにお客さんとして来たとき「なかなかスタイリッシュでカッコいい劇場だな」と思ったので、そういうイメージもありましたし、「ここだったら働いてみたい」というようなポジティブな思いがありました。そこから文化施設への興味が広がったのはご縁だったのかなと思います。

2006年に初めて吉祥寺シアターに来たときから少しずつ興味が広がっていって、今に繋がったという感じです。

「この街には雑多であってほしい」

--大学生の頃の吉祥寺と今吉祥寺シアターの職員になって見る街は違いますか。

違いますよ、やっぱり。ユザワヤの場所がだんだん変わったり、ヤマダ電機はもともとブックオフでしたしヨドバシカメラも僕が上京してきた前後にできました。僕より前から吉祥寺を知っている人たちからすると、やはり大きく変わっただろうなって思います。お店がどんどん変わったり、流行りのものが急に出店してきたり、そういうのを見ていると移り変わりの激しさみたいなものは昔よりあるなと思います。

その反面、個人経営の古本屋さんは昔からあるなとか、ミスタードーナツも残っているし、ポイントポイントでは変わっていないところもあるので、安心する部分がやっぱりありますね。僕にとってはすごく居心地の良い街で、東京のホームなので、間違いなく。この武蔵野市に愛着もありますし、その中でも吉祥寺という場所にはやっぱり自分のホームだなっていう感覚がとてもあります。

--「武蔵野市の文化」と言われたときに何かイメージするものはありますか。上京したということで武蔵野市の外からの視点、市民としての視点、職員としての視点と、いろいろな視点があると思います。

武蔵野市っていう総体を捉えるのはなかなか難しいですよね。総体を目にするのが難しいなって思うけど、やはり「雑多である」ことが一つあると思いますし、そうあってほしいと思います。

イラストレーターが街の看板を描いていたり、漫画家の絵がシャッターに描かれている居酒屋さんだったり、アイドルが町にポンと出てきたり、いろいろなものが多様に雑多に散りばめられていることがこの街の特徴なんじゃないかなと思っています。別に統一感があるわけではないんです。東急百貨店の裏手の方はおしゃれな吉祥寺のイメージがなんとなくありますけど、あそこだって一つ一つ見ていくとすべてがおしゃれなわけではないと思いますし。かといってこちらのエリアは夜の街というイメージがあるかもしれないけれど、おしゃれなお店がポツンとあったり。「住みたい街」とよく言われるけれど、住むことにすごく特化した街でもない。住む人にとっても来る人にとっても居心地の良さがあったり楽しみ方がたくさんあるというのは、それだけいろんなものが散りばめられているからだと思うんですよね。「雑多さ」のようなものは文化なんじゃないかなと思いますし、そうであってほしいです。

最初の話とも関連しますが、これからも雑多の中に舞台芸術をどう位置付けていけるかということが、僕ら吉祥寺シアターのミッションだと思います。地区ごとの繋がりを持って活動している人やお店も結構あるので、市全体の統一感は出ないけれど、地区ごとの繋がりが良い意味で市のアクセントになる。パレットでいえば、カラフルな感じになるわけで、それはすごく良いことだなと僕は思っています。統一感はなくてもいいから、できるだけその雑多であることをお互いに受け入れあえる。武蔵野市、特に吉祥寺はそういう面が強いと思います。

おしゃれなお店もあれば、ハモニカ横丁のような場所もあります。いわゆるおしゃれ一辺倒ではなくて、街の猥雑さもあって、それが自然と共存しているということが良い意味での雑多さにつながっているのかなと思います。

--大川さんの今後についてお伺いします。吉祥寺シアターにこれからも居続けたいと思いますか。

実は、この3月で退職することにしました。いつかはステップアップも考えないといけないと数年前から思っていたのですが、でも願望としてはやっぱりいつまでも吉祥寺シアターと一緒に成長したいという思いがずっとありました。だから、吉祥寺シアターを離れることに、悔いがある部分はたくさんあります。

ただ、「もっとこれができれば、あれができれば」と自分の力不足を感じることがいっぱいあったので、自分がずっと居続けることで、ここの成長も時間も、僕自身も結局止まってしまう部分があるんじゃないかと思いました。

吉祥寺シアターに留まらず、舞台芸術しかり劇場しかりがもっと公共的な役割を果たしていくために自分ができることは、(吉祥寺シアターから)外に出て成長していく、例えばこれまでと違う視点や働き方、新しいスキルなどを身につけることが大事なんじゃないかと思って(決断しました)。やっぱり寂しさはあります。今後残る人たちに期待しつつ、もしまた人生の中でご縁があって、なにか吉祥寺シアターにコミットできることがあれば嬉しいなと思っています。

--そうだったのですね。このタイミングで大川さんからお話をお伺いできて本当によかったです。 

いろいろな人が各地で絶えず上演をしていて、消費のサイクルみたいなものの中にあって、どうしても舞台やこういうものは残っていかないので、こういう機会やお言葉をいただけるととても嬉しいです。

インタビューの様子。吉祥寺シアターの楽屋でお話を伺いました。
インタビューの様子。吉祥寺シアターの楽屋でお話を伺いました。

ときにユーモアを交えながら楽しくお話ししてくださる、大川さんの物腰柔らかなお人柄の奥には、吉祥寺シアターのことはもちろん、舞台芸術や吉祥寺という街のことを思い、深く考え続けていらっしゃる姿がありました。

吉祥寺シアターのミッションの1つは、吉祥寺シアターが自分の色を持つと同時に吉祥寺という街に新しい色を足すことであり、それはまだ道半ばであると大川さんは繰り返しおっしゃっていました。

多くの人が集まりさまざまな文化が生まれる吉祥寺の公共劇場として、そして環境浄化の歴史を持つ地域の劇場として誕生し、3年後の2025年には開館20周年を迎える吉祥寺シアター。ここからどんな新しい色が生まれ、どのように地域や舞台業界に伝播していくのでしょうか。

実施:2022年1月31日(月)吉祥寺シアターにて
聞き手:高橋佑里子、西原凛、菅原紀香、中島優香
編集:高橋佑里子、中島優香


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