武蔵野は「むらさきにおう」場所?〜武蔵野市・校歌歌詞 分析調査〜

 誰しもが歌ったことのある歌、「校歌」。今でも小学校の校歌は歌える…そんな方も多いかもしれません。高校野球でも勝利チームの校歌は必ず歌われ、それを歌うことが試合の原動力になっていたりもします。

 校歌班では、武蔵野市立小中学校歌の歌詞の特徴をメインに、校歌の作詞や作曲に関わった市ゆかりの音楽家の活動も併せて調査することで、市と音楽の関わりや、校歌によって歌われてきた武蔵野市の地域的特色を明らかにすることを目的に調査を行いました。

 

 この記事では、校歌班が武蔵野市立小・中学校の校歌を分析した結果にフォーカスをあて、詳しくお伝えします。

 武蔵野市の校歌の特徴とは一体なんなのでしょうか。また、「武蔵野」という言葉は、どのような文脈で登場することが多いのでしょうか。読者の皆さんも、母校の校歌を思い出しながら読んでみてください。

1. 使用頻度の高い言葉

武蔵野市立学校の校歌には、どのような言葉が使われているのでしょうか。まとめたものが以下です。

武蔵野市立学校でよく使われている言葉

武蔵野・むさしの12
富士・富士山11
井之頭・井の頭3
秩父2
千川1
(代表的な単語を抜粋。全18校中。ゼミ生調べ)

 「武蔵野・むさしの」、「富士・富士山」の二つの言葉が他を大きく引き離し、上位となりました。一方、市独自の特徴とも言える「井之頭・井の頭」などの言葉は、思った以上に使われていませんでした。

武蔵野市は、武蔵野と呼ばれる範囲の中でも代表的な地域であるため、多く使用されているのは想定内でしょうか。

 また「富士」は東京都をはじめ、多くの地域の校歌で歌われている言葉です。特に校歌が制定された戦前・戦後初期には今のように高いビルがなく、日本の象徴でもあるこの山は、特ほとんどの地域から見えたと言います。武蔵野も決して例外ではなかったことが見受けられます。

それでは、最も使われていた「武蔵野」は、どのような文脈で登場しているのでしょう。

一部を抜粋したものが、以下の表です。

「武蔵野」の使われ方

・「むらさき(におう)」武蔵野 (複数)
・高く日の照る武蔵野
・そよ風かよう武蔵野
・日はうららかな武蔵野
・緑にもゆる武蔵野
・「文化の町」  など

 そもそも「武蔵野」という言葉時代が、「武蔵」の「野」という意味であることから、それを修飾する言葉も自然を想起させる言葉が多く使われていました。

また「文化の町」は、

「ふかい草 しげれる草を ひらきおこしてきずく町」(本宿小学校)

という歌詞に続けて登場しています。この校歌が1954年に制定された(本宿小学校HPより)ことを踏まえると、戦後の武蔵野の様子や、人々がまちづくりに抱いた想いが感じられます。

2.「武蔵野」とは何なのか

前述の通り、「武蔵野」という言葉は本来関東、ひいては武蔵国に広がる平野地域を表しますが、なんと東京西部の校歌で最も使われている言葉(出典: 『発掘!校歌なるほど雑学事典』 ヤマハミュージックメディア )とのこと。予想通りではありましたが、必ずしも武蔵野市だけの特徴ではないようです。

 筆者が調べた中でも、東京都西部(市部。多摩地域を除く)では、都東部(23区)と比較して学校数が少ないにも関わらず、「武蔵野」が歌詞にある校歌を持っている学校がそれぞれの市単位で2〜3校以上は存在していました。

一方で都東部では逆に「武蔵野」を使用している学校は少なくなり、最も東に位置する江戸川区では、該当する学校は1校のみでした。国木田独歩の名著『武蔵野』では現在の目黒もその一部とされていますが、参考に東京都目黒区の小学校の校歌を見てみると、「武蔵野」という言葉を使用しているのは約22校中2校のみ。

校歌は、主に大正時代からその制作が本格化し始め、戦後以降は一般化されますが、その過程で「武蔵野」という意識を持つ地域が東京都の西側へと限定されていったのかもしれません。

3. むらさきにおう武蔵野とは?

「武蔵野」とともに校歌でよく使われているのが「むらさきにおう」という言葉です。これは武蔵野市内の学校だけでなく、この言葉を使用する他の市区町村の学校歌でも該当するものがあります。武蔵野は、「むらさき」という言葉とともに受け継がれていると言っても過言ではないのですが、これは一体なんなのでしょうか。

これは、武蔵野が

の一本(ひともと)ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る

という和歌に由来する歌枕であることからきているのです。歌枕とは、そこを歌った初めの作品を踏まえて、多くの人が和歌によみ込んだ名所のことを言います。

この歌は古今和歌集に収録されている歌で、「美しい紫草その一本のために、武蔵野の草がすべていとおしく思われる」という意味だと解釈されています。 武蔵野は古くから、紫草の生える地として知られていました。

すなわち、武蔵野は紫草の名所として、多くの和歌に歌われてきた場所だったのです。校歌で「むらさき」が「武蔵野」とともに使用されているのは、この歌枕の伝統を踏襲したものだったのでした。

その伝統を受け継いでいるのは校歌だけではありません。現に「武蔵野市の花」には、ムラサキとムラサキハナナという2つの花が含まれています。

武蔵野市の学生たちは、校歌を歌うことで何気なく、1000年以上受け継がれてきた武蔵野の伝統を担っていたと言えるのかもしれません。

4. おわりに

いかがでしたでしょうか。ここまで武蔵野市の校歌にしぼってお伝えしてきましたが、記事内でも言及したように、「武蔵野」という言葉は武蔵野市だけでなく、もっと広い範囲を表すものです。

今回は全てを調査しきることがかないませんでしたが、たとえば「武蔵野」という言葉が歌詞の中にある校歌を調べることで、校歌を作った人たちが「この場所は武蔵野だ」と認識している範囲を画定することができるでしょう。校歌制作当時の人々の地域に対する認識を知る上で、貴重な資料になるのではないかと考えます。

校歌は何気なく歌っていて、とても身近にある。えてして忘れられてしまいがちですが、それを詳しく分析してみることで、意外な発見があります。制作当時の様子が歌詞として残っているからこそ、校歌それ自体が非常に重要な存在です。この記事をきっかけに、校歌に興味を持っていただけたなら幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です