居心地の良いライブハウスへ。シルバーエレファント・木本幸恵さんインタビュー
1. ライブハウス「シルバーエレファント」の歴史
ー(中島)まず、シルバーエレファントの概要・歴史を教えてください。
シルバーエレファントはずっと吉祥寺にありまして、1978年に開店して43年くらい同じ場所でやっています。店長が私で4代目になるんですけど、1代目2代目の店長はすぐに交代して、3代目の店長が20年弱、私が20年ぐらいという感じです。前の店長が、1980年代頭ぐらいに流行していたプログレというジャンルが好きで、他の店に比べるとプログレがよく出るライブハウスみたいなイメージだと思います。シルバーエレファントというとプログレのお店でしょ、と言われることが多いです。
私になってからは色々なジャンルのバンドさんに出ていただいていてます。もちろんプログレは今まで通り推してるというか、プログレのジャンルの人とかは割と好んで出てくださるので、応援しているジャンルにはなりますね。
あと、プロミュージシャンのセッションバンドが割とよく出てます。例えば、自分で他のメインのバンドがあってそのバンドのギターさんとか、ベースとか、ドラムさんとかが自分で別のバンドを組んでやってるとか、別のその日その日でセッションとしてメンバーを変えてやったりとか、そういう箱としてすごくよく使われています。なので、普通の人とプロミュージシャン、半々ぐらいだと思います。逆にザ・ライブハウスという感じの、モッシュ的なのはあまり最近は出ていないですね。
ー(中島)他のライブハウスと比べて何かこだわっているところはあるのでしょうか?
出演していて居心地の良いお店にしたいなと思っています。その辺はスタッフの共通の意識ですね。出演者の人に気持ちよくライブをしてもらうことで、いいパフォーマンスになってお客さんにも喜んでもらうみたいな。とりあえず出演者の人たちを大切にしたいなと思ってます。
ー(福田)ライブのブッキングはお店側から声をかけるのでしょうか?
私が働いて20年ぐらいになるんですけど、その中で結構やり方っていうのは変わっていて、ブッキングのスタッフが外に行って声かけるときもあるし、出演者の方から出てみたいと言われることもありますね。
あとは継続的に出演してくれるバンドもあります。ここ最近ブッキングマネージャーが不在なので、よく出ているバンドさんに引き続き出てもらっているという感じですね。他のライブハウスに比べると、こちらから声をかけることは少ないかもしれないです。
2. 「プログレ」ファンとコロナ禍での営業
ー(中島)お店に聴きに来る方の年齢はどれくらいの方が多いのでしょうか?
お客さんの年齢層は高いです。というのも、このお店はもう長いのですが、開店当初から来てくださっている方々が今60代ぐらいになっていて、それに合わせて客層も上がってきています。その他ですと、プロミュージシャンのセッションイベントなどでは女性のファンの方々が地方からいらしたりします。でも昔のバンギャルみたいな感じではなく、30代から50代ぐらいが多いと思います。
ー(中島)客層にあまり変化が無いと仰っていましたが、新しく呼び込みたい層はありますか。
どこのライブハウスにも共通して言えると思いますが、人ありきのものなので、店のカラーが変わっていくのは良いと思います。ですが、プログレのバンドさんはスタッフよりも年齢が上の人が多いですし、昔流行ったジャンルですからね。それに、大きくはないお店ですが誇りを持って仕事をしており、あまりすぐには変わったりしないかもしれません。店の目指す方向性があるというより、今日1日を良くすることを重視しています。ですから、長い目で見て増やしていきたいジャンルなどは、今はあまり考えていません。逆に今出演しているジャンルや層を厚くしたいという思いが強いです。
ー(福田)日本のプログレには、何かユニークな点があるんですか?
私もそんなに詳しいわけではないのですが、おそらく世の中におけるプログレというジャンルは狭いと思います。そして、プログレファンの人はこだわりが強い人が多いんです。ですから、日本だけではなく世界中のプログレファンの方の中には、世界中のプログレにアンテナを張っていて日本のライブハウスでシルバーエレファントを唯一知っている方がいらっしゃるようです。すごいでかいチッタ(川崎市のライブハウス)とかは知らないけど、シルバーエレファントは知ってるみたいな。
ー(福田)なるほど。マニアックだからこそお店が知られているんですね。プログレのライブにいらっしゃる方は音楽通の方が多いのでしょうか。
そうかもしれません。少し「アイドルの推し」と似ている気がします。というのも、以前プログレのお客さんだった方で、アイドルのお客さんに転身した人がいて。両者に何か通ずるものがある気がして、アンダーグラウンドな感じがいいのかもしれないです。アイドルと言っても地下アイドル系と言えるかもしれませんが、そういうマニアック感のようなものが、プログレと共通している気もします。それに、アイドルもプログレも楽曲に自由さがありますよね。そういうところは近いと思います。
ー(中島)コロナ禍を受けて営業体制はどのように変わったのでしょうか?
コロナ禍が拡大したのが2020年の3月ごろですが、翌4月にはシステムを整えて配信を開始した点は大きな変化でした。配信チケットは普段のライブと同様に有料のものを販売し、購入者のみライブを観ることが出来るようにしました。
ー(中島)やはり配信で観に来る方も増えているのでしょうか?
今は2年経って減ってきていますが、最初はすごく多かったです。うちのお店だけじゃないんですけど。ここはキャパが100人くらいなんですが、配信にはキャパが無い。それに海外からチケットを買ってくれる人もいますし、驚くほど売れる時もあります。
ー(福田)海外から視聴する方もいらっしゃるんですね!
それはやはり、プログレというジャンルだからだと思います。仮にプログレのライブハウスでなければ、この店が海外にまで知られる理由は少ないかもしれません。日本でプログレを見るならこのお店くらいになるので、日本のプログレが好きな海外の人がいたとしたら、このお店のライブを見てくださるんです。
ー(中島)なるほど。配信だとファンの方がライブをより気軽に見られるようになって、良いですね。最初配信で見て、東京に来た時にお店に見にいらっしゃる方もいるでしょうし。
そうですね。地方や海外からも見られるっていうのは結構大きいです。逆に、海外から見に来ていたお客さんで、対面のイベントが見られないので配信で見るという方もいます。
ー(中島)コロナ禍で営業体制も大きく変化を強いられたということですが、どうお感じになっていますか?
シルバーエレファントは、出会いの場であり再会の場です。この店では、お客さん、出演者、そして店の人という三者で関係性が作られているという点が、他の物販のお店や、飲食店など一般的なお店とは違うのではないかと思っています。出演者を見にきた方とその対バンを見にきた方が、全くの他人同士だったのに知り合いになったり、たまたま共演した出演者同士が仲良くなるというような、出会いの場所にしたいです。コロナ禍になってからは客数も出演者数も減らさなければならないため、なかなかそういったことは難しいのですが。たまたま意気投合した方同士でイベントを開催したり、対バンという関係を越えて仲良くなったり、中には結婚に至った方達もいると思います。バンドが解散したり、地方の実家に帰った人たちも大勢いるのですが、一年に一回は集まってイベントをすれば再会する機会ができます。仮にこの店がなくなってしまったら、そういった機会もなくなってしまいます。ですから、出会いの場であり再会の場であり続けたいと思います。
3. 市民、ライブハウスをつなぐ吉祥寺音楽祭
ー(中島)吉祥寺音楽祭の運営もされているということで、吉祥寺音楽祭の良さを教えてください。
他の地域の音楽祭と違うところとしてよく言われるのが、実行委員の中でブッキングもやっているというところですね。他の地域では、サーキットイベントとかと同じように、リーダーシップはその街が取ってるけど、その町が誰かに委託して運営してもらったりとかバンドを呼んでもらったりとか、ということが多いと思います。でも吉祥寺はこれだけ音楽関係者がいる街なので、実行委員によるブッキングが成り立っているんですよね。
あと、実行委員は音楽関係者だけではなくて、街の活性化協議会が主体になっています。商店会は吉祥寺に20かいくつかくらいあるらしいんですけど、商店会から1人ずつとか2人ずつとか選出、ブロックから何人かずつ選出されて実行委員会の組織を作っていて、運営を基本全部してるという感じになります。ですから、街の人がそのまま全部やってるというか、商店会の人が作るイベントですね。例えば今日のこのイベントはどこどこ商店会が警備を担当する、といったふうに。ここが、他の街のイベントと大きく違うところだと思います。
ー(中島)本当に皆さん協力的なんですね。
そうですね、それこそ手弁当という感じで。出演者も吉祥寺がゆかりの場所という人が多いので、正規の値段ではなくお友達価格みたいな感じで出てくれる人もいるし、ボランティアで出てくれる人もいますね。あとこれだけライブハウスがあるので、各ライブハウスの推しバンドを推薦して出すということもできるので、そういうふうに成り立ってるところが他の街とは違うかな。
それから活性化協議会のことで言いますと、15年くらい前に吉祥寺音楽祭に関わり始めた時から感じていることとして、年上の人たち、おじいちゃんくらいの人たちがすごく頑張っていて、それに負けてるような感じがすごくあって。いつになってもやる気があって、みなぎってますよね。言ってることは的を射ていると感じることが多くて、街のことを考えている人が多い気がします。
コロナ前の話をすると、駅前の広場を使って無料イベントやったりとか、平和通り(パルコの前の通り)を歩行者天国にしてストリートバンドを8組くらい並べてやったりとか、あと井の頭公園の野外ステージ使ってイベントやったりとか、そういうフリーのイベントをやってましたね。客層は本当に老若男女といった感じで、お年寄りや子供、出演バンドのファンなどたくさんの人が見にきていましたね。他の街のライブハウスの人も見にきてくれていたんですが、こんなに年齢層が幅広い音楽祭はないよね、と言われたことがあります。そこは吉祥寺っていう街の独特さというか、商店会の人が関わっているからというのもあるし、ゴールデンウィークの吉祥寺のメインイベントとして楽しみにしてる人がいるんだなと、すごく感じますね。
ー(中島)吉祥寺音楽祭は80年代ぐらい(正確には1986年)から続いてきたと思うのですが、どのように変化・進化してきたのでしょうか?
それも時代時代ですね。一番最初は吉祥寺の駅前をロータリーにするとかのイベントだったのかな。最初の方はどこかに委託してやってもらってたという時代もあったみたいです。
でも委託するとなればお金もかかるし、盛り上がっていたとは思うんですけど、予算が限られた中でいかにいい物を作るかとか、やっぱり吉祥寺らしさを出したいというところからか、その委託するっていうのを完全に止めたそうです。自分たちでやっていこうというふうに思った商店会の人がいたということで、街のライブハウスだったりとか音楽関係者だったりとか、同じ商店会のいろんな人が集まってというのをやり始めたっていうのが第17、18回くらいだったと思います。その辺りからこのライブハウスの人たちも集められるようになって、私もその何年か後ぐらいに参加をし始めましたね。
それが今もずっと続いていているんですけど、またここ最近3、4年くらいから趣向を少しずつ変え、幅広くやっていこうという感じになってるので、サーキットイベントとかも取り入れていますね。ただコロナになっちゃって、開催時期が延期になったりとか、ちょっとバタバタしてて定まっていないというのがここ1、2年ですね。
ー(中島)本当に色々な人を巻き込んで行われてきたのですね。
そうですね。吉祥寺音楽祭で顔を合わせることで知り合いが増えることも多くて。チラシとかをレコードショップに「音楽祭があるんで置かせてください」みたいに持っていくこともあって、そこで関わりができたりするので、吉祥寺音楽祭の存在は今となっては大きいですね。
4. 吉祥寺・武蔵野というまちについて
ー(中島)話題が変わりますけど、木本さんが一市民として感じる武蔵野市のイメージ、好きなところについて伺いたいです。
街として小さいので居心地がいいところですね。お店とかもすごいいっぱいあるけど、1個1個は小さい。渋谷とか新宿になると一個一個の店が大きいじゃないですか。隣のお店に行ってくるって言って迷子になるくらいなんですけど。
こぢんまりとしてるけどすごく発展してるっていうところが、好きです。私は生まれも育ちもここなので比べられないんですけど……実際、電車も滅多に乗らないです。買い物とか全部ここなので他の街に行かなくなっていますね。
ー(福田)なるほど。特に吉祥寺は「住みたい街」とよく言われますけど、そのあたりについてどう思われますか?
治安がいいのかな。吉祥寺にはいろんな人がいますけど、それでもやっぱり、類は友を呼ぶじゃないですけど、なんとなくみんな似たような感じの人がいるんだなって思っていて。そういう意味で、治安のいい街が出来上がってるっていう気がします。
ー(中島)逆にここは良くないなと思うところなどはありますか?
なんですかね。子育て支援などは他の街に比べると充実してないところもあるなとは思います。隣の街なのに差があると、もうちょっと足並みを揃えて欲しいというか、少し残念だなと思うことはありますね。
ー(福田)そうなんですね。それでは武蔵野・吉祥寺の音楽やカルチャーというところで、こういう街というイメージはありますか?
ライブハウスとしては本当に新しいお店ができるわけでもなく、なくなるわけでもなく多分ここ20年ぐらいずっと変わってないと思うんですよね。10年前くらいから、カフェバーというか、ライブバーみたいなカルチャーは出てきているんですけど、その他はほとんど変わっていないんです。
吉祥寺という場所はミュージシャンにとって居心地のいい場所だと思います。その理由としては、ライブハウス同士が仲良いと思うんですよ。他の街はわからないですけど、他のライブハウスって要は競合じゃないですか。だけど、吉祥寺に関しては仲良い。
その理由は、吉祥寺音楽祭で音楽関係者が束ねられるんですよね。そこで一緒に一個のイベントをつくるっていう機会があるんですよね。一緒に何かをする関係になるので、話とかもするし、各ライブハウス同士も仲良いですね。そうすると、出演者にとっても居心地がいいですよね。
吉祥寺だと、シルバーエレファント出て、来週は吉祥寺プラネットK、その次は吉祥寺ワープ、その次はシャッフル、みたいな。一つの街でいろんなライブハウスに出るって他の地域だとなかなかないと思うんですよね。地域の中で動くってなかなかない。
他の地域だと「うちに出たらあそこに出るなよ」みたいな話も聞くので、吉祥寺はそれがないですね。だからバンドは居心地いいんだろうなと。
あと、今はやってないんですけど、シルバーエレファント、プラネットK、ワープ、シャッフルの4つのライブハウスでサーキットイベントをしてたこともあります。その時は本当にお酒飲みながら夜な夜な集まって、どうするって話を店長とかブッキングマネージャーとかがしてましたね。その辺は吉祥寺の音楽文化、ライブハウス文化の独特さだと思いますね。
ー(中島)吉祥寺のライブハウス文化がこうなっていってほしい、こういうふうに守られていってほしいという思いはありますか?
心地良い空間が守られてほしいという思いはありますね。もしかしたら新しくライブハウスがひとつできたら雰囲気が変わるのかもしれませんが、アットホームなお店が多いと思うんですね。他の地域もそうだというかもしれませんが、でも吉祥寺にアットホームな店が多いというのは本当だと思うんですね。出演者同士も、ライブハウス同士も仲良くしていきたいなと思いますね。それが最終的には音楽の発展につながるひとつの要素だと思うので。
5. 取材を終えて
取材を通じて、「居心地の良さ」という言葉がとても印象的だった。
一つは、シルバーエレファントの居心地の良さ。お客さん、出演者、店の人が出会いつながる場として、誰もが気持ちよく過ごせる環境づくりに励んでいらっしゃることがわかった。
もう一つは、吉祥寺というまちの居心地の良さ。音楽関係者、活性化協議会・商店会の方、幅広い年齢層の市民が吉祥寺音楽祭という一つのイベントを通じてつながり、分け隔てなく助け合う文化が醸成されていることがわかった。
最後に、取材後メールでいただいたメッセージを紹介させていただきます。
吉祥寺の商店会や町の方は、ライブハウスという少し普通ですと排除されがちなイメージのモノを温かく接してくれている気がします。
それも、吉祥寺という町柄か音楽文化を大切にすることで町の活性化につながる という意識を持っていただいている方が多いからかと思います。
<お店の情報>
「吉祥寺シルバーエレファント」:吉祥寺に40年、1978年から街に根付いているライブハウス。
住所:吉祥寺本町2-10-6 B1
Tel:0422-22-3331
HP:https://www.silver-elephant.com/