【モニュメント探訪】武蔵野市 誉れの彫刻家 北村西望

【目次】
1. 北村西望とは
2. 北村西望作品マップ
3. 北村西望のモニュメント
3-1 《花吹雪》
3-2 《母子像》
3-3 《世界連邦平和像》
4. 感想
5. 参考資料

1. 北村西望とは

(井の頭自然文化園提供)

武蔵野市ゆかりの彫刻家の一人、北村西望さんのモニュメントについてまとめます。武蔵野市内には彼の作ったモニュメントが点在し、武蔵野市の景観を担っています。記事をまとめるにあたり、井の頭自然文化園にある彫刻園の学芸員・土方浦歌さん、吉祥寺美術館の学芸員・滋野佳美さん、武蔵野市役所の柴田直子さんにご協力を賜りました。

長崎の《平和記念像》などの作品を生んだ著名な彫刻家

北村西望は「たくましく、力感あふれる男性像」を得意とした長崎県出身の彫刻家です。代表作の《平和祈念像》を始め、《怒涛》《晩鐘》といった、筋骨隆々として健康的な姿をした男性像を多く制作しました。西望自身も作品について「無骨で黒砂糖のようにゴツゴツしていてアクの強い」と称しています。

井の頭自然文化園の彫刻園ってどんなところ?巨大な平和祈念像があるのはなぜ?学芸員さんに聞いてみました|週刊きちじょうじより転記)

武蔵野市との関わり

井の頭自然文化園の彫刻園には、彫刻家・北村西望(1884-1987)の作品180点以上がアトリエ館、彫刻館A館、彫刻館B館、そして屋外に展示してあります。彫刻園は、北村西望が、長崎の平和祈念像を制作する際、アトリエを建設する土地を東京都から借りた返礼として、全作品を都に寄贈することを申し出たことに由来します。寄贈された作品は500点以上にものぼり、1958年より一般公開されました。当時のアトリエ建築をそのまま残したアトリエ館では、平和祈念像制作に実際に用いた装置や、様々な大きさの習作類、器具類が展示されています。彫刻館A館では、長崎に設置された平和祈念像の原寸大の石膏原型が収められ、高低差のある多彩な視点で鑑賞することができます。彫刻館B館では、初期作から終戦までの作品が置かれています。彫刻園では、このコレクションを今日の観点で意義付け、活性化する活動を目指しています。

井の頭自然文化園|Tokyo Art Beatより転記)

第二次世界大戦終戦後、西望のもとに原爆犠牲者の冥福を祈るために記念碑を造りたいという相談が長崎市から来ていました。このとき西望は、戦争で多くの命が奪われたということを決して風化させないために記念碑ではなく祈念像を作るべきだと訴え、この思いが通じて長崎市から正式に像の制作依頼を受けます。依頼を受けた西望は巨大な像を制作するため、東京都に土地の備用を依頼。東京都はその依頼を受けて井の頭自然文化園の片すみの土地を使用する許可を出しました。西望は土地を使用する返礼に、建てたアトリエや全作品を東京都へ寄付をすることにしたそうです。これが井の頭自然文化園彫刻館の始まりとなっています。アトリエ館は1953年に建てられ、1955年に《平和祈念像》が完成。その後、アトリエ館・彫刻館を含めた彫刻園が1958年に一般公開となりました。

井の頭自然文化園の彫刻園ってどんなところ?巨大な平和祈念像があるのはなぜ?学芸員さんに聞いてみました|週刊きちじょうじより転記)

2. 北村西望作品マップ

北村さんの作品だけをピックアップして地図に「見える化」してみました。

3. 北村西望のモニュメント

武蔵野市にある北村西望さんのモニュメント《花吹雪》《母子像》《世界連邦平和像》について、その概要と設立・設置経緯についてまとめました。

3-1  《花吹雪》

<概要>
・制作年:1961年
・設置年:1980年
・設置場所:武蔵野市役所
・ブロンズ製

像の解説板には次のような説明が書かれています。

「花吹雪」解説(原文)
山桜は古来学舎の庭によく植たものである
緑の期節にささがけて希望の新学期に花を開く
平和な緑と教育の都市 武蔵野の発展の象徴として
この「花吹雪」を作り新市庁舎の落成を祝福し度い

「彫刻花吹雪に題して」
一年の蓄積を見事に表現してまさに絢爛無比、我々を喜ばせてくれる桜
それで毎年毎年、約束を違えた事もない
そうして春風に乗ってたちまち豪華な舞踏をくりひろげ
打ちよせる波濤の如く、又吹雪の如く
その花吹雪の中に、僕はふと天使の舞い姿を見出す事ができた
おお天使よ 春や春

<設置背景>
武蔵野市の新庁舎落成記念として1980年に設置されました。武蔵野市の名誉市民だった北村西望さんは、「平和な緑と教育の都市」武蔵野市の発展の象徴として花吹雪の中で舞う天女の像を制作したようです。

3-2  《母子像》

<概要>
・制作年:1925年(雛型), 1979年拡大再制作(石膏原型)
・設置場所:武蔵野市役所
・ブロンズ製

幼な子に授乳する母親の座像。全てが丸みを帯びたフォルムで構成された、聖母子でも慈母観音でもあるような、柔和な造形である。さらに鉄漿(おはぐろ)で赤褐色に着色されているため、木彫のような温かみを感じさせる。同じ頃に制作された《若き日の母親》(大正末期、井の頭彫刻園二号館)が、母子の日常の一コマを捉えたスケッチ風の作品であるのに対し、こちらは普遍的な慈愛の表象といえる。滑らかな表面処理が施されており、母親の衣の合わせ目にある装飾文様や左右対称の台座ともあいまって、装飾性が際立っている。過剰なまでに男性性が強調された男性像を得意とした作者には極めて珍しいタイプの作品だ。

作者は、1923(大正12)年までに五人の子どもをもうけ、本作品が制作された年には帝展会員となってもいる。公私共に充実していた時期の佳品といえるだろう。

(長崎美術館HP https://www.nagasaki-museum.jp/museumInet/coa/colGetByArt.do?command=view&number=2467 より転記)

<設置背景>
北村西望は1953~1987年に武蔵野市内に住んでおり、武蔵野市名誉市民でした。作品指定について市役所に明確な意図があったという証拠資料はありません。なぜ「母子像」なのか?といいますと、これは推測ですが、80年代八王子市のまちづくり計画には、穏やかで温かみのあるテーマの公共彫刻が望まれ、北村西望の《若き日の母親》が寄贈されました。おそらく武蔵野市も同じような理由で、子供や母親の像が市民の場にふさわしいと、行政か北村西望かどちらかは分かりませんが、そう判断したのかもしれません。(土方さん談)

3-3  《世界連邦平和像》

<概要>
・設置年:1969年
・設置場所:三鷹駅北口
・ブロンズ製

1969年10月、世界連邦平和宣言10周年を記念して三鷹駅北口(武蔵野市)に設置されました。台座には世界各国の石48枚がはめこまれており、台座の中には武蔵野市の戦没者の名簿が納められています。

(​​​​​​​戦争遺跡を訪ねる平和散策コース世界連邦平和像(武蔵野市) | みたかナビ三鷹駅北口に北村西望氏による平和像建つ(1969年) | 武蔵野プレイス参照)

この像は、世界連邦建設同盟武蔵野支部が市に寄贈したものです。軍需工場の歴史を持つ武蔵野市が平和祈念へとつなげる意図があったようです。建設資金は元中島飛行機の遺族会による寄付が含まれた市からの補助金(400万円ほど)や一般市民や企業などからの寄付(350万円ほど)によって賄われました。当時の市議会報によると「みんなで建てた方が、この像を建設する精神に合う」と当時の市長は述べています。

<市民との関わり>
ボランティアによって清掃されているようです。2021年度は世界連邦運動協会武蔵野支部市が依頼した業者が清掃・メンテナンスしたということを市役所の担当者から聞いています。(土方さん談)

4. 感想

複数の作品がありますが、計画的にメンテナンスがなされているとは言い難いものもあります。このことは市民の像に対する関心の低さの表れなのではないかと推測できます。景観の一部を担っているとはいえ、像は市民に必要とされているのか、どのように関わっていくのが望ましいのか、これからの像のあり方について考えていく必要がありそうです。

5. 参考資料

井の頭自然文化園の彫刻園ってどんなところ?巨大な平和祈念像があるのはなぜ?学芸員さんに聞いてみました|週刊きちじょうじ
井の頭自然文化園|Tokyo Art Beat
・長崎美術館HP(https://www.nagasaki-museum.jp/museumInet/coa/colGetByArt.do?command=view&number=2467
・​​​​​​戦争遺跡を訪ねる平和散策コース
世界連邦平和像(武蔵野市) | みたかナビ
三鷹駅北口に北村西望氏による平和像建つ(1969年) | 武蔵野プレイス

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