武蔵野市国際オルガンコンクールを育ててきた人々〜入賞者の声〜

 本チームは武蔵野市民文化会館小ホールに設置されたパイプオルガンに焦点を当てている。動機として、日本の公立文化施設において1990年代以降パイプオルガンが数多く設置されたが、武蔵野市においては国際的なオルガンコンクール「武蔵野市国際オルガンコンクール」が1988年から開催されているという特徴的な状況に興味を抱いたことが挙げられる。
 武蔵野市のパイプオルガンと、国際オルガンコンクールに深く関わる方々に、その特徴や活動、運営について直接お話を伺うことで、約30年前から国際コンクールが武蔵野市で開催されることとなり、今現在も継続することのできている理由や、どのような具体的な活動が行われているかを聞き取り調査を行った。本記事は、当コンクールに入賞したオルガニスト達に、武蔵野市のオルガンやコンクールの運営、また自身のキャリアとの関係について声を集め、その回答をまとめたものである。コンクール第1回から第8回までの入賞者計31名の内、連絡先が一般に公開されている25名へメール等によって質問送付を行った。そのうち10名から回答を得た。
 この調査により得られる武蔵野市の事例は、全国の文化行政、公的文化施設、また音楽芸術分野に携わり、より良い文化行政を行おうとする人のための有益なサンプルになると考える。

●武蔵野市国際オルガンコンクール入賞者の方への調査/ Survey for International  Organ Competition Musashino Tokyo
回答期間:2021年2月15日(月)〜2021年2月25日(木)

<分析>

1.参加のきっかけ
日本人以外の回答者8名のうち7名が、日本やアジアへの関心を参加のきっかけとして回答している。実際に日本とのコネクションがあった者は3名いた。
それと並行して音楽コンクールとしての位置づけを評価する回答も6名からあった。プロとしてのキャリアを歩み始めたオルガニストが自らの実績を上げるためであったり、国際的な評価を得るために出場したという意見が見られた。
それ以外の理由として、参加費用をコンクールで補助してくれることを評価する回答も複数あった。この制度は駆け出し演奏家にとって魅力的に写ったようだ。

表1

2. ホール、楽器、運営上の評価
ホールについては、半数以上の回答者が高く評価する回答を寄せた。具体的には、ホール自体の美しさやオルガンの位置などを評価する声があった。低評価の理由はコンパクトすぎるということである。
楽器については、ほとんどの参加者が高く評価しているが、アクションが重いことや、小さすぎることを指摘する声があった。
運営について高く評価する回答も4名からあった。提言として、様々な楽器を経験するために、予選毎に会場を変えてはというものがあった。観客の反応が良いという感想も見られる。

表2

3. 市民との交流
7名からなんらかの形での市民との交流があったとの回答が寄せられた。ホームステイを利用した参加者は受け入れ家族との交流を高く評価している。観客とのコミュニケーションの機会を自ら作り、武蔵野市での滞在をより実りのある時間にしようとした体験談も見られた。欧米からの参加者は、観光を含めた日本の文化を体験する機会としてもこのコンクールを捉えているのではないかと考えられる。こうした交流が、帰国後に亘って続いているとした回答も3名からあった。
事業団が開催する大会後のフェアウェルパーティーについて言及はなかった。
せっかく来日した参加者が金銭的な余裕がなく予選で敗れすぐに帰国するという事態を避けるためにも、すべての参加者がこのコンクールへ出場したことや、武蔵野市へ訪れたことのメリットを持ち帰ることのできる取り組みが必要なのではないか。また、ホストファミリー制度の運営は日本においては持続困難な面があり、それに代わる交流の場が設けられるべきだろう。

表3

4. コンクール入賞によるキャリアや日本での演奏活動への影響
キャリアへの影響、日本での演奏活動につながったとする声が、それぞれ5名と4名というのは、国際コンクールの機能・役割を考えるとやや少ないように思われる。
特に、2000年以前の入賞者には、サントリーホール等一流ホールでの演奏機会や、芸大での教職等、大きな成果が見られたものが、近年では見当たらないのが懸念される。個人的資質や事情にもよるので、組織的に推進するという性質のものではないかもしれないが、コンクール入賞者のその後の活動は、参加者の量・質に大きく影響を与えるものではないだろうか。特に日本人オルガニストが欧州だけではなく、出身国で開催されるコンクールにおいて入賞することが自身の誇りとなれば、このコンクールの存在意義も高まるのではないか。

表4

<質問と回答>

注:英語にて得た回答は抄訳の後に原文を付した。原文において誤字を含め表記はそのままであるが、見やすさのために改行等の編集はこちらで行った。


(1)武蔵野市国際オルガンコンクールへの出場を決められたのは何故ですか。
What made you challenge the International Organ Competition Musashino Tokyo?


①1988年のIOCMは、私がこれまでに挑戦した4回目の国際オルガンコンクールであり、成功した唯一のコンクールでした。(他はシャルトル、サンアルバンス、ライプツィヒでした。)大きなコンクールで成功することは私の夢でした。審査員を務めるような権威あるオルガニストの前で演奏することは、恐ろしくもあり感動的でもあるからです。参加者には非常に高い水準が求められるため、プレッシャーは計り知れないものがあります。
コンクールの開催が発表された時、私はドイツのフライブルクにあるカールスルーエ音楽大学に留学していました。私は日本人女性と結婚しており、その前に2年間日本に住んでいたし、またアジアで初めての国際的なオルガンコンクールだったので、とても重要なことだと感じていましたし楽しみにしていました。コンクールの約1年前からレパートリーを作り始め、そのことに全力を注いでいました。

(原文:The 1988 IOCM was the fourth international organ competition I had ever attempted, and the only one in which I was successful. (The others were Chartres, St. Albans and Leipzig). It was my dream to succeed in a major competition because of the exposure and credentials the winner can obtain. Competitions are also great motivators because playing for such prestigious organists who are in the jury is both terrifying and inspiring. The pressure is enormous due to  the very high standard expected of participants.
At the time the competition was announced, I was studying at the Staatliche Hochschule für Musik in Freiburg, Germany. I was really excited about it because I was married to a Japanese woman, and I had already lived in Japan for two years prior. Also, it was the first truly international organ competition in Asia, so it felt extremely important to me. I began working on the repertoire about a year before the competition and focused all of my energy on that.)

②1988年に第一回武蔵野市オルガンコンクールが開催された時、私はまだ若いオルガニストで、コンサートパフォーマーとしてのキャリアを歩み始めたばかりでした。また家族がすでに日本との関わりを持っていました。これらの理由から私がこのコンクールに挑戦したのは自然なことでした。

(原文:In 1988, it was the first edition of the International Organ Competition Musashino Tokyo. I was a young organist, beginning my career of concert performer. Moreover, I had already family links in Japan. For all these reasons, it was natural for me to make a challenge for this competition.)

③私が第一位と吉田実賞を受賞した2000年には、私はアムステルダム音楽大学でジャック・ファン・オルトメルセンに師事していてとても忙しい学生でした。その勉強の傍ら、いくつかの国際コンクールを受けるためのプログラムの準備に注力し、それらにおいて第一位または上位入賞を果たし、演奏家としての将来のための貴重な経験となりました。日本そして武蔵野国際オルガンコンクールは、世界的なオルガンコンクールであり、かつ異なる文化を持つ新しい国を経験することや国際的な人脈を広げられる可能性に魅力を感じました。

(原文:In that time, in the year of 2000, when I won First Prize and JSBach Minoru Yoshida Memorial Prize, I was a very busy student at Amsterdam Conservatory under tutelage of Prof. Jacque van Oortmerssen. Next to that studies, I focused to prepare programmes for several international organ competitions abroad, where I took first or major prizes and made great experiences for my upcoming life and concert future. Japan and IOCM looked very attractive to me, it was a great challenge to participate at this world organ contest, exploring a brand new land with different culture, giving unique possibility to open friendship with international colleagues.)

④日本を訪れるのは初めてで、アジアの文化や音楽をもっと学びたいと思ったからです。

(原文:It was my first trip to Japan, intersting to learn more about culture and music in Asia.)

⑤2004年の9月でした。多くの興味深いこと、上質で繊細な国の文化と文明を知ること、オルガンに関しては素晴らしいプログラム、気持ちの良い審査員、とても良い楽器、そして賞の数々です。航空費と宿泊はコンクール事務局によって手配され、これはお金の乏しい学生や若者にとって素晴らしいことでした。何人かの友人やオルガンビルダーが日本にいて、彼らは日本をとても気に入っていました。

(原文:September 2004. Many interesting things: to discover a new culture and civilization which is a very fine and sensitive community and also interested by organ music, a fantastic program, a nice jury, very good organs and a full list of rewards. The flight and the Accommodation were organized by the competition, great thing : as student or young people you have not too much money! Some friends and Organbuilder were already in Japan and they were exited from this country.)

⑥コンクールの評判にとても惹かれ、審査員のメンバーも非常に重要でした。課題曲もわたしの興味を刺激しました。このコンクールが自分自身への挑戦と確実な練習になると判断しました。

(原文:The reputation of the competition was very attractive to me, and the listing of the international jury members was very important. The challenging repertoire list was also very stimulating. I viewed the competition as a means to challenge myself and to practice diligently.)

⑦以前武蔵野のコンクールで審査員をしていたドイツの師に、日本人なのだからと勧められた。個人的には日本人だから余計に違うコンクールに出場予定でした。

⑧コンクールを受けた当時、私は大学院生でドイツ留学を控えている時期でした。
海外ではたくさんの国際オルガンコンクールが開かれている中、日本で開かれる唯一のオルガンコンクールであったのが武蔵野市のコンクールで、4年に一度の開催でしたので、まだ日本にいる間にチャンスが巡ってきたことを嬉しく感じたのを覚えています。
与えられたたくさんの課題曲に集中して深く取り組み、「今」の自分自身への挑戦をしてみたくて、コンクールを受けました。

⑨その頃、私は多くのオルガンコンクールを受けていました。しかし東京はいくつかの理由で、最も興味深いところでした。ドイツから見ると日本、特に東京はとても魅力的な場所で、そこに行ける機会はなかなかありませんでした。その頃の私は旅費を出すことが出来なかったのですが、武蔵野市は寛大にも航空運賃を出してくれたのです。武蔵野市に滞在した約2週間の間に、コンクール予選や練習の合間に少し観光が出来たのも嬉しいことでした。その最高のものの一つが最終日の夜に温泉に行ったことです。そのために私は事前に「心得」を読んでいきました!

(原文:At that time I was taking part in many organ competitions. But Tokyo was one of the most interesting ones for some reasons: Seen from Germany, Japan and especially Tokyo is a really attracting location and there are certainly not many opportunities to go there. Moreover it was very generous from the Musashino City to pay our flights – at that time I would not have been able to afford the travel expenses. I was very glad that during my stay in Musashino (about two weeks) I could also do a little bit of sightseeing between the rounds of the competition and my practising times. One of the highlights was visiting an onsen on my last evening there – for that I had been reading some “instructions” beforehand!)

⑩いくつかの理由で出場を決めました。一つ目は最も名声のあるコンクールの一つであったこと。入賞者は皆素晴らしいキャリアを手にし、世界中に知れ渡り、何人かは私たちの世界で非常に優れた演奏家となったのです。ふたつ目は私が訪れたかった国の一つである日本が会場であったことです。私たちのそれとは全く異なる文化を持っていますが、どこをとっても美しいと感じます。芸術や自然に対する高い意識を持ち、他では見られない細部へのこだわりを持っています。非常に美味しい食事ができましたし、最高のもてなしを受けました。時差ぼけで5時ごろに起きた朝、ホールでの練習が一番手であったこともあり、街のことを知りたいと思い市民会館の周りを散歩しました。その時近所に住むお年寄りが道路の掃き掃除をしていました。彼らが地域に貢献し、地元を大切にしているのを見て、今まで見てきた中で一番美しい風景のひとつだと感じました。私はあの光景をいつも思い出し、日本に行ったことを大変喜ばしく思うのです。もちろんオフの日は新宿や原宿などにも出かけました。
そのほかにも、レパートリーとオルガンが優れているということも理由の一つです。どちらも演奏を愉しませてくれました。既定のレパートリーも考え抜かれていましたし、最終ラウンドでのプログラムを選べるという自由度もあったと思います。

(原文:I chose to apply to the Musashino-Tokyo International Organ Competition for a few reasons. The first is that it is one of the most prestigious competitions in the world. The prizewinners have all gone on to have fantastic careers, are known all over the world, and are some of the best performers in our field. The second reason I chose to apply is because the competition took place in one of the places I wanted to visit most in the world – Japan. The culture is very different from ours but I find it beautiful in every way. There is a high regard for art, nature, and an attention to detail that one doesn’t see everywhere. I had some of the best meals of my life in Japan, and I experienced hospitality at its finest. One morning, I remember waking up jet-lagged at 5AM. I walked to the Cultural Civic Hall because my practice time was the first in the morning and I wanted to explore the town a little bit. At this time, so early in the morning, all the elderly members of the town were outside sweeping the streets. They were contributing to their community and caring for their hometown. I thought this was one of the most wonderful acts I’ve ever seen in real life. I will always remember that morning, and feeling so glad that I came to Japan. Of course, I took a few trips on my days off to visit other parts of Tokyo, including Shinjuku and Harajuku!
Two more reasons that I applied to the competition were the excellent choice of repertoire and the organ. They were both enjoyable to play. The prescribed repertoire was thoughtful and there was enough freedom of choice to make a program that I loved presenting in the final round.)


(2)武蔵野市市民文化会館小ホールのパイプオルガンはご自身にとって演奏するのに適した環境でしたか。演奏に当たって、ホールという環境面において、良かったことあるいは改善した方がよいと思われることがあればご教示ください。
How did you find the organ of Musashino Civic Cultural Hall or the hall itself? Please describe if there were any good effect for your performance or anything that disturbed you.


①武蔵野文化会館は壮大で非常に印象深いです。小ホールのマルクーセンのオルガンは多くの面で理想的と言えます。私はこのオルガンにある種の縁を感じていました。出場5年前の大学院時代、大学のために新しいオルガンを購入するための選定委員会に参加し、いくつかの会社を比較したのちマルクーセンのオルガンをリサイタルホールに採用したのです。武蔵野のオルガンは、マルクーセンの作品とオルガン製作のスタイルの本当に素晴らしい例です。幅広いレパートリーを演奏できるように設計されており、優れたキーアクションと付属品を備え、音の明瞭さも持っています。慣れるのがとても簡単で、各ラウンドの準備も容易でした。
第一回戦は暗譜での演奏が求められました。私は訓練として暗譜での演奏をしてきましたが、伝統的にはオルガニストはピアニストのように暗譜をしません。このルールが原因で脱落してしまった他の強豪の出場者もいますが、私には有利なものとなってしまいました。また、2回目と3回目のラウンドのいくつかの曲も、必須ではありませんでしたが、暗譜で演奏しました。これは、より良い発表をするのに役立ちましたし、私の他の欠点のいくつかを補ったのかもしれません。例えば、最終ラウンドのバッハでは、記憶のスレがあり、そのせいで優勝できないだろうと思っていました。しかし、審査員はそれを許してくれて、私に一等賞を与えてくれたのです。

(原文:Musashino Civic Cultural Hall was magnificent and very impressive to me. The Marcussen organ in the small hall was ideal in so many ways. I felt a certain connection to that organ, because when I was in graduate school five years prior, I had been a participant in the organ selection committee to purchase a new organ for my university. After comparing several companies, we had developed a particular appreciation of Marcussen, which we finally selected for the recital hall. The Musashino organ is a really fine example of their work and style of organ building. It is designed to play a wide range of organ repertoire, and has great clarity of sound with excellent key action and mechanical accessories. I found it quite easy to get used to and prepare for each round of the competition.
For the first round, it was required to play from memory. Traditionally, organists do not play from memory like pianists do, however, I had always trained to play all of my music from memory.  So this rule ended up being a bit of an advantage for me, as some very strong competitors struggled with memory problems and were eliminated. I also played some pieces from the second and third rounds from memory, even though it was not required. This helped make a better presentation, and perhaps even made up for some of my other shortcomings. For example, I had a memory slip in the Bach of the final round, and I was sure that I would not win because of that. But the jury forgave that, and awarded me the First Prize anyway, much to my surprise, as well as some others.)

②有名で歴史のあるデンマークの工房、マルクッセンのオルガンです。美しい楽器で、幅広いオルガンのレパートリーを演奏するのに適しています。加えて動作がなめらかで、タッチがよいです。これらの理由からコンクールだけでなく、その後の演奏会でこのオルガンを弾けたことを嬉しく思います。また、審査員としてもコンペティターのそれぞれの個性を見出すことができたと思います。

(原文:The organ of Musashino was built by Marcussen, famous danish historical factory of organ building. It’s a beautiful instrument, suitable to serve a large part of the organ’s repertoire. In addition, the mechanical action is souple and allows a better touching for the organists. For these reasons, I was glad to play in this organ not only for the competition but also later for a concert performance. And also later as member of the jury, I was able to appreciate the various personalities of each competitor.)

③武蔵野市民会館のマルクセンのオルガンは、ある意味で「古典的な」とても良い楽器です。演奏するに当たっての支障は全くありませんでしたが、準備の時間が限られていたことから、限られた数の音栓記憶装置しか使うことができませんでした。音栓記憶装置とはオルガンのストップによる音の組み合わせを予め準備しておくことができるようにするものです。しかしながら、コンクールの事務局は素晴らしいアシスタントを手配して、コンクール期間中に最高の助力となりました。もう一つ私が好ましいと思うのは、オルガンがコンサートホールの前面にある場合、ステージの中心にあり観客がオルガニストを良く見ることが出来ることです。武蔵野市民会館においても、そのようにオルガニストが観客との接点を持つことが出来れば、観客はその演奏をよりよく鑑賞することが出来るでしょう。

(原文:The Marcussen Organ at the Musashino Civic Cultural Hall is quite a nice concert hall instrument in a kind of “classical” organ style. I didt get any particular troubles playing that organ, although we got limited time for preparations and could use only certain number of memory combinations. The memory combinations recall in the estimated time the requested sound combinations of the organ stops and enable to pre-set the requested sound. But I have to mention, that competition board arranged fabulous assistants, which were ready to help in the best way during the competition. Otherwise I like, if the organ is in front of the concert hall, in the center of the stage and audience can see the organist well. So, also in Musashino Civic Hall can organist distribute the contact with the audience and they can perceive him and his music better.)

④バッハや現代音楽を演奏するのに非常に適したデンマーク製のオルガンです。2000年と2008年の2回、日本を代表する作曲家である細川俊夫の「雲景」をすでにそこで演奏をしたことがありました。毎日ホールとホテルの間を散歩し、綺麗な道と静かで親切な人々が印象に残っています。

(原文:It is a danish organ, very good for the music of Johann Sebastian Bach and modern music, so I already performed twice the piece Cloudscape of the famous japanes composer Toshio Hosokawa there (2000 and 2018). I walked from the hotel to the hall evry day. I was very impressed by the clean streets, quiet and nice people.)

⑤武蔵野市民会館のオルガンは、バロックオルガンでも、ロマン派や現代音楽も演奏可能です。よく言われる、万人向けのオルガン、時代(80年代)の申し子と言えましょう。
コンクールの間、私はトラッカーのアクションが重いのに苦労しました。これは、この国そして部屋の湿度からやむを得なかったのです。曲と曲の間にタオルを使って、手と指を乾かしていたのを覚えています。

(原文:The organ of Musashino Civic Cultural Hall is a barock organ with an opportunity (or option) to play romantic and contemporary music, as well as described : an organ for all to play, a child of his time (80’s). 
During the competition, I was disturbed by the very heavy tracker action (which is not compatible with a high degree of humidity of the island and in this room. I can remember to use towels between each pieces just to dry my hands and my fingers. )

⑥ホールもオルガンも非常に美しく、想像力を掻き立てるものでした。コンクールの運営はプロフェッショナルで丁寧でした。出会った全ての人が印象深いです。とても歓迎されていると感じました。
オルガン自体は非常に素晴らしいのですが、すべてのレパートリに適しているとは言い難いです。これはこのコンクールの少しチャレンジングな部分です。しかし、私たちオルガニストに課せられたことでもあります。私たちは曲目をオルガンに適応させなくてはならないのです。

(原文:The hall and the organ were both very beautiful and inspiring. The organization of the competition itself was very professional and courteous. I was very impressed with everyone that I met. I felt very welcome. /The organ itself is very good, but it is not ideally suited for all repertoire. This was somewhat challenging for the competition, but this is also the nature of what we have to do as organists. We must adapt our repertoire choices to the organ.)

⑦演奏する場としてはどこでも構わない。いかんせん楽器が小さい、ホールもコンパクトなので外部への視覚的アピールが少ない。

⑧私が出場した回のコンクールは全てのラウンドが武蔵野市市民文化会館のオルガンで行われました。オルガンは大きすぎず小さすぎず、当時の自分には適した環境であったと思います。
日本のホールには素晴らしい楽器が沢山入っているので、各ラウンドが違うホールのオルガンで開かれたら、楽器を知る機会になるとともに、毎回違った楽器の前で音作りもさらに楽しめたのではないかと思います。

⑨私はオルガンも武蔵野市民会館もとても気に入り、また歓迎されていると感じました。コンクールはとてもきちんとしていてーそうでないことも多いのですがーすべての人々が私たちに対して親切で協力的でした。
ひとつだけ奇妙に感じたことは、観客が「とても」静かだったことで、これはヨーロッパと比べると、慣れないことでした。ヨーロッパでも集中して聴いてくれますが、日本ほどではありません。ヨーロッパの音楽家は、観客の物音や咳の音などに慣れています。
私は観客から何も聞こえてこないことに、少々不思議な気がしました。時々、誰もいないのではないかと見回したくなったほどです。しかしこのことは、観客がオルガンの音楽を聴くことにそれほどに興味を持ってくれたということでもありますー何時間も!我々オルガニストに対するこの関心には感謝しています。

(原文:I really liked playing on the organ and also being in the Musashino Civic Cultural Hall, I always felt well and welcome. The competition was very well organized – that is not always the case – and all the people there were very friendly and helpful towards us.
There was only one thing thing that felt strange: the audience was VERY quiet, I was not used to that – comparing to an audience in Europe! Here the audience is very attentive, too, but not as attentive as in Japan. European musicans are used to a certain rustling and coughing on the part of the audience 😀
It was nearly a bit strange not to hear ANYTHING from the audience during my peformances. Sometimes I felt like tourning around for looking if there was somebody at all. But on the other hand it showed how interested the audience was in listening to organ music – for many hours! So I really do appreciate this attention towards us organists.)

⑩ホールとオルガンは演奏するのに親しみやすいもので、楽しんで演奏をすることができました。アメリカではオルガンは、教会にあることがほとんどなのでコンサートホールにそれがあることは稀です。ホールでの演奏はコンサートのようだったので楽しかったと感じます。多くの聴衆の前での演奏もよかったです。日本では芸術への評価が高く、みんなが音楽への興味を持ち、中には深い知識を持つ人もいます。 自分の才能を評価してくれて、あらゆる種類のレパートリーを聴きたいと思ってくれる多くの観客のために演奏することにやりがいを感じました。

(原文:I found the Hall and organ friendly to play and enjoyed performing there very much. In America, organs in concert halls are a rarity. We almost always perform in churches. I enjoyed playing in a hall because it felt more like a concert. I also loved playing for large audiences. In Japan, the arts are regarded highly and everyone has interest and some knowledge in music. It’s rewarding to play for large audiences that appreciate your talents and want to hear all kinds of different repertoire.)


(3)出場のために武蔵野市に滞在している間に、主催者である武蔵野市民との交流やコンサートなどの機会はありましたか。
(あったとすれば)どのようなものでしたか。もっとこういうことがしたかったということはありますか。
(なかったとすれば)こういうことがしたかった、あればよかったということはありますか。
Was there any opportunity to communicate with Musashino citizens while you were staying in Japan for the competition? If so, please describe the details. If not, did you wish such opportunity?


①ホールのスタッフや武蔵野市民からは心からの歓迎を受けたように感じます。私はすでに2年間日本に住んでいたことがあるため、居心地は良かったし人々とのコミュニケーションも上手くいったように思います。多くの友人を作り、楽しい時を過ごしました。海外からの参加者のうち数名が地元の家でのお茶や寿司に招待され、非常にあたたかく迎え入れられました。

(原文:There was a wonderful welcoming atmosphere by the staff of the hall and the local citizens of Musashino. I had already lived in Japan for two years, so I was very comfortable in the environment and could communicate with people rather easily. I made a lot of new friends and had a wonderful time. Some of us were invited for tea time, sushi, etc. at local homes, and there was a very welcoming and generous atmosphere for the participants from abroad.)

②旅行に出かけた時の新しい人々との出会いが好きなのですが、コンクールに出る場合、それは難しいです。予選本選のための準備に、非常に集中しなければならないからです。そのため、私は会う人数は最小限にしたかったのです。もちろん、コンサートの後は、どんな結果に終わったとしても、私たちを歓迎してくれる市民と会うのは素晴らしいことで、武蔵野市でもそれを感じることが出来ました。

(原文:I like contact and I like to meet new people when I travel but I must say that it is difficult to do that when you prepare a competition. You are extremely focused on preparing the different rounds. For that reason, I preferred to meet the minimum number of people. After the competition of course, whatever the stage you reached, it is very enriching to meet citizens of the city that welcomes you and I could feel that in Musashino.)

③当時はいつもホストファミリーがあり、たとえ参加者がコンクールで成功できなくても、歓迎して宿泊させることが出来ました。私は武蔵野市民のこのホスピタリティがとても親切で快いものと感じました。私は今でも、とても親切な婦人がいつも聴きにきてくれ、私の幸運を祈り、私を迎えるのを楽しみにしてくれたのを覚えています。しかし、予選が進むにつれ、ルールが変更になってホテルに泊まらなければならなくなり、この素晴らしいホスピタリティを受けることが出来なかったのは残念でした。

(原文:There was always arranged a host family, in case, that the participant wouldt be successful to continue to further rounds, to be able to welcome and accommodate him. I did find it very kind and nice from the Musashino citizens to offer this hospitality. I do still remember the very kind lady, coming always for results, wishing me good luck and possibly looking forward to welcome me. Unfortunately in this way, as I was continuing to next rounds, the rules of the competition ensure to every active candidate to pay hotel stay, so I was not able to use this great hospitality.)

④家に泊めてくれたゲストファミリーとはとても仲良くなりました。その家族の娘さんとはいまでもよく連絡をとっていて、彼女がロンドンで働いていた時にはお互いを訪れあいました。私が日本へ行った時(前回は2019年サントリーホール)はわたしのコンサートを聴きにきてくれて、夕飯を共にしました。

(原文:My guest familiy invited my at her home, we got in very good contact. I am still in contact with the daughter of the family, she worked in London and we visited each other, every time I come to Japan (last time Suntory Hall 2019) she comes to my concert and we have diner together.)

⑤コンクール事務局、特に和田氏は、武蔵野市民に素晴らしい紹介をしてくれたため、武蔵野市の人々から食事に招かれ、何年も交流が続きました。それ以外にも、私は毎日レストランに行き、日本に来る前に覚えた日本語を練習してみました。友人と一緒に興味深い史跡や魚市場を訪れる機会もありました。その数年後には、他の町や伝統や美味しい料理をもっと知ることになりました。

(原文:The organization of the competition, especially Mr. Ato Wada made a wonderful introduction to Musashino Citizens, so that we were able to be invited for a dinner with people from Musashino. We keep contact a few years.
Next to that I was every day in restaurants and I tried to practice the few japenese words and phrases I’ve learnt before landing.
We had with friends the opportunity to visit some interesting monuments and the fish market. In the several years I learnt more about another cities and traditions and delicious dishes.)

⑥配偶者が日本人なので、彼女の家族の家に滞在しました。私たちは日本が大好きで、多くの人に出会うことができました。

(原文:My wife is Japanese, so we stayed with her family in Tokyo. We love Japan and met many people.)

⑦ない。出場中にそのような余裕はないので、例えば途中で先に進めなくなったコンペティターがそのような機会を浜松国際のように貰えたら面白いのでは?後は入賞者披露の際に、市民も交えた懇談会があっても良いのでは?

⑧滞在期間中、とくに市民の方との交流はありませんでした。武蔵野のコンクールは「武蔵野市」のコンクールというより、「日本で唯一」のコンクールであるイメージの方が強いです。

⑨正直言って、私が日本語を話せず、英語を話せる人も多くなかったので、少し難しかったです。それでも、そのとき、私より少し若い女性との心温まる出会いがありました。彼女は二次予選での私の演奏を聴き、その数日後、武蔵野市の街中で私を見つけました。彼女はとても興奮して私に会えたことを喜び、私の演奏をとても気に入ってくれたようで、私の手を取って感謝してくれました。少しの英語の他、ほとんど日本語だったのでよくわからなかったのですが。彼女は本選(入賞者コンサートだったかもしれません)にも来てくれて、そこでも街中と同じことがあり、とても感動的でした。
コンクールのアシスタントの一人はドイツに留学したことがあり、上手にドイツ語を話しました。私たちはコンクールの数ヶ月後にもメールでやりとりをしました。

(原文:Honestly it was a bit hard because I don not speak Japanes and I did not meet many people who spoke English. But nervertheless, I had a really affecting meeting with a Japanese woman a bit younger than me at that time. She had been listening to me in the second round of the competition and some days later she recognised me on the street in Musashino. She was so excited and happy to see me – it seemed that she liked my playing a lot! – that she took my hands and thanked me, she seemed very grateful! A bit in English, most in Japanese, so I could not understand very much. She came listening again for the final round (or the prizewinners’ concert, I can not remember) and it was the same as some days earlier on the street. That was really touching!!!
One of the assistants of the competition had been studying in Germany and spoke German very well. We even had mail contact for some months after my stay in Musahino.)

⑩コンクールの後、何人かの優しい人たちに会えたことを幸運に思います!出場した友達と一緒に出かけました。夕飯をとりに行ったとき、何人かの武蔵野市民は手を振ってくれました。彼らは少し英語を話し、親切にも私たちに焼き鳥屋さんから食べ物と飲み物を買ってきてくれました。彼らとはインスタグラムで今もフォローをしあっています。同じ言語を話せなくてもコミュニケーションを取ることができるのです。彼らの幸せな人生を垣間見れることは幸せなことです。

(原文:I was very fortunate to meet some nice people after the competition! I was out with a friend from the competition, and neither of us speak Japanese. We wanted to have dinner and a few Musashino citizens waved at us. They spoke a little English and bought us some food and a drink at a nearby yakatori stand. It was so kind of them. I still follow them on instagram and they follow me. We don’t speak the same language, but we are able to communicate through pictures. It’s wonderful to see happy things happening in their lives!)


(4)受賞してからご自身のキャリアや演奏活動に変化はありましたか。また、その後日本における音楽活動や演奏の機会やに繋がったとお感じでしょうか。/How did the prize of the competition affect your career or activity? Did it broaden your activity in Japan?


①第一位と邦人作品最優秀演奏賞の両方を受賞したことは私のキャリアと人生に大きな影響を与えました。
-賞金120万円のおかげで、ドイツ留学の最終学年を修了することができました。
-人生で初めて重要なコンクールで優勝したことは、私の士気と自信を大きく押し上げてくれました。また、仲間や同僚からも尊敬されていると感じました。
-妻の父に深い印象を与えることができ、私はついに父の「ガイジン」の婿として受け入れられたと感じました。仙台の重要なお寺のご住職をされていた父は、私のことをとても誇りに思っていて、参拝者やお寺の方に私の賞品や当時の新聞記事をよく見せていました。もちろん、自分の家族もとても誇りに思ってくれていたので、私には大きな幸せをもたらしてくれました。オリンピックで優勝したような達成感だったかもしれません。
-この経歴を履歴書に残せたことで、職業的にも多くの扉が開かれました。
日本での就職活動が終盤になってきた頃、ある大学から、私がその大学で教鞭をとって欲しいと思いったそうで連絡がありました。理事長がウィナーズコンサートを聴いたことがきっかけだったそうで、専任講師として採用してもらいました。そこで私は英語、フランス語、洋楽を教えることになり、チャペルや学校の行事で演奏することもありました。その後、日本の永住者となっていた私は、主要な会場で演奏するための招待を受けるようになり、オルガン界ではかなり有名になりました。東京芸術大学に非常勤講師として4年間雇われましたが、これはコンクールの影響も大きかったのではないでしょうか。その間、優秀な学生の指導に加えて、天皇皇后両陛下がご臨席された新東京藝大創学堂の落成式で、大高敦忠の「オルガンとオーケストラのための幻想曲」の世界初演を担当させていただくという光栄な機会にも恵まれました。2004年に日本を離れた後も、このコンクールでの優勝をきっかけに、フランスで数年間、そして2009年からはアメリカ・ボストンの大教会で教会オルガニストとして活躍しています。
32年以上前の第1回国際オルガンコンクール(武蔵野・東京)で優勝したことは、私のプロとしての人生で最も誇りに思うことかもしれません。武蔵野市民の皆様、そしてこのようなコンクールを成功させ、世界から尊敬されるものにするために尽力してくださった全ての方々に、心より感謝しております。

(原文:Winning both the First Prize as well as the Special Prize for the performance of the commissioned composition had a major impact on my career and my life.
-The cash prize totalling 1.2 million yen made it possible for me to complete my last year of study in Germany.
-For the first time in my life I had won an important competition, so it was a big booster of my morale and self-confidence. It also made me feel more respected by my peers and colleagues.
-It impressed my wife’s father so much, that I finally felt fully accepted by him as his “Gaijin” son-in-law. He was the priest of an important Buddhist temple in Sendai, and he was so proud of me that he loved to show visitors and temple members my prizes and the newspaper articles that were published at that time. Of course, my family was very proud of me, too, so it brought me much happiness. It also gave me a great sense of accomplishment, perhaps even comparable to winning at the Olympics.
-Having such a credential on my professional résumé opened many doors for me professionally. 
When I began looking for a job in Japan towards the end of my studies, one university I wrote to hired me as a full-time teacher because the Chairman of the Board had attended the Winner’s Concert and wanted me to teach at his university. So I was hired to teach English, French and Western Music, in addition to playing for some chapel services and school functions. Then, as a permanent resident of Japan, I began to receive invitations to perform in major venues and I became quite well known in the organ world. I was hired by Tokyo University of Fine Arts and Music to teach as a part-time instructor for four years, and I’m sure that the competition had had a major influence on that, as well. During that time, in addition to teaching very talented students, I had the great honor of playing the world premiere of “Fantasy for Organ & Orchestra” by OTAKA Atsutada as part of the dedication of the new Tokyo Geidai Sogakudo, which was attended by the Emperor and Empress of Japan.
Even after I left Japan in 2004, my credentials from winning that competition opened doors for me in my career in France for several years, and as a church organist in a major church in Boston, USA since 2009. 
Winning the First International Organ Competition, Musashino-Tokyo more than 32 years ago is perhaps the thing I am most proud of in my professional life. I am forever grateful to the citizens of Musashino, as well as to all of the people who worked so hard to make such a competition successful and respected in the world.)

②コンクール出場の前にも何度か観光で日本を訪れたことがありました。コンクールの後は劇的に状況は変わりました。複数の日本のコンサートホールでのコンサートに呼ばれ、NHK交響楽団とオルガンソロを演奏したりしました。国際コンクールに出場すれば、何人かのコンサートオーガナイザーが演奏を聴き、入賞しなくても気に入ってもらえれば招待を受けたりします。そのため、各国の若いオルガニストたちは武蔵野国際オルガンコンクールにチャレンジするべきだと思います。

(原文:Before the competition, I already traveled several times in Japan for tourism, discovering organs but not for concerts at this time. After the competition, the situation has completely changed. I was invited for concerts in concert-halls of Japan. Also, playing organ solo with the N.H.K Symphony Orchestra. When you are competitor in an international competition, some concert organizers listen to you and even you do not win a prize, if they like your performance and your personality, they will invite you. For that, I can only encourage young organists of many countries to make a challenge of the Musashino Organ Competition.)

③私は自国でも海外でも大きな称賛を受け、特にアメリカでは、何度かツアーやマスタークラスを行いました。私がよく訪れるヨーロッパ、アジア、オーストラリアにおいても、武蔵野国際オルガンコンクールはよく知られていて、コンサートのキャリアを築く上で助けになりました。特に入賞した年には、もしかするとその前も、優勝者をプロモーションするエージェントはなかったのですが、その後の回には追加されました。このような重要なコンクールに入賞した後で、日本でそうしたプロモーションを受けられるのはもちろん素晴らしいことです。しかし私も、その後日本の各地でコンサートへの招聘を受け、東京のサントリーホールや川口のリリアホール、オペラシティホールといった美しいホールや、教会、大学、個人の家などで演奏することが出来、それらは多くの交流の機会をもたらしました。しかしながら、不思議なことに武蔵野市民会館から呼ばれたことがなく、もし呼ばれたら喜んで行くのですが。コンクールに来ていた多くの聴衆は私のことを覚えていてくれると思うので、彼らのためにまた演奏したいと思います。決選と入賞者コンサートの雰囲気は素晴らしいもので良い思い出です。他の多くの日本でのリサイタルと同様に。

(原文:I received great acclaim at home and abroad, especially in the USA,where I made also several tours and gave master classes. Also in Europe, Asia, Australia, which is my very popular destination, as the IOCM is well-known, did help me to built a great concert carer. In the particular year of my win and probably also before, there was not any concert agency or agent arranged, who would help to promote the First Prize winner. This was added in some further editions. It would be sure great to get such promotion in Japan after wining such important competition. But I did receive later several concert invitations to perform at many places in Japan, performing in such beautiful halls like Suntory Hall in Tokyo, Lilia Hall Kawaguschi, Opera City hall and many more venues like churches, universities halls, private houses, which gives you chance to explore more about social contact. It looks a bit strange, but I was never invited to give recital to Musashino Civic hall, what I would gladly do. Maybe there would be still quite many visitors of the compeition, which would still remember me and I would gladly play for them again. The atmosphere of the final round and prizewinner concerts with full hall was splendid, nice memories and this remains also by many other my recitals, especially in JP.)

④入賞の経験は最初は役に立ちませんでした。日本でのコンサートを始めたのは他のご縁からです。しかし、このホールへ再び訪れたとき、人々は非常に良くしてくれました。

(原文:The prize did not help in the beginning, my concerts in Japan started in 2014 with other relations, but it was nice to come back to the hall, very nice people there.)

⑤残念なことに、あったとしてもごくわずかでした。なぜなら私は日本に、演奏会やレコーディングを企画してくれるコンサートエージェントを持っていなかったからです。第一位の副賞としてCDレコーディングがありましたが、プロデューサーはそれに決選の録音を使い、私はそれを知った時にはとても悲しい思いをしました。2週間ものコンクールを経た最終決選で、誰が本当に良い演奏が出来るというのでしょう?私はとても疲れていて、それが音にも出ていました。

(原文:Unfortunately, yes but only a bit. Because I didn’t have a concert agent in Japan who could really take time to organize concerts and recordings. One reward for the first price was a CD recording, but the producer used only the tracks from the final round of the competition so that I was very sad after knowing this information. How can you play a final round (after two weeks competition) really good? I was very tired, and I could hear it.)

⑥ここでの経験と入賞は私にとって実り多いものとなりました。演奏家、音楽家としての自信を与えてくれて、他の国際的なアーティストとの繋がりを得ることができました。現在私は教師をしており、自分の経験を踏まえて、生徒たちがこのコンクールへ出場する準備を一緒にしています。このコンクールのあと、日本でコンサートをしたのは一回のみです。また日本へ戻り、もっと演奏をしたいと思っています。

(原文:The experience and prize was very productive for me. It gave me more confidence as a performer and musician and helped me make more contacts with other international artists. Now that I am a professional teacher, I am able to help my students prepare for competitions more effectively because of this experience. /I was only able to give one concert in Musashino following the competition. I would very much like to return to play more concerts.)

⑦全くありません。日本で唯一のコンクールで今のところ日本人で唯一の優勝者ですが、メリットは感じません。寧ろ意図的に疎外されている感すらあります。コンペティターからのフィードバックも受け入れられている様子はありませんし、コンクールの実施委員の皆様の年齢も全くもって現役の方ではないので、若返りが必要だと思います。もしくはコンペティターにとっても事業団にとってもメリットがないのでは、いっそのこと廃止でもよいかと。

⑧武蔵野のコンクール受賞後、それに関する演奏会の機会はほぼありませんでした。コンクールを通してのホールとのつながりや武蔵野市とのつながりも、特にありません。私が生まれ育ち、オルガンに出会った兵庫県姫路市のホールが受賞記念としてリサイタルの機会をくださいました。ドイツでの国際コンクールで受賞した際には、受賞後に何か所もの教会の素晴らしい歴史的楽器での演奏会に招待され、オルガンを巡ってたくさん旅をし、その地の人々の気質に触れ、歴史に触れられ、今の私の宝物となっています。日本でもそのようなつながりを持てたらよかったなと思いますが、今はオルガンのある場所に入ることが難しい日本の環境の難しさも実感しております。

⑨2012年に私は第三位と聴衆賞を受賞しました。聴衆に気に入られたことは、素晴らしい名誉です。ドイツに戻ると、地元の新聞から武蔵野市オルガンコンクールに関するインタビューを受けました。しかし、武蔵野で受賞したことを理由に、ヨーロッパで招聘を受けることはありませんでした。
残念なことに、受賞が日本での活動に結び付いたこともありませんでした。私はいつでもコンサートのために再訪したいと望んでいますが、今に至るまでそれは実現していません。

(原文:In 2012, I won the third prize and the audience award. It was really a very great honour to me to be the audience’s favourite! Back to Germany a local newspaper wanted me to give an interview about the Musashino organ competition. But I did not get any invitations in Europe especially because of the prize in Musashino.
Unfortunately the prize did not have any influence for my activity in Japan. I always hoped to come back for other concerts, but that was not the case until now.)

⑩優勝したのち、カレン・マクファーレーン・アーティストと契約をしました。経営者からも私の評判が注目され、先日、オハイオ州コロンバスにあるセント・ジョセフ大聖堂の首席オルガニストと音楽監督補佐のポジションを引き受けました。聖ジョセフ大聖堂のオルガンは、アメリカのオルガン製作者ポール・フリッツ氏によるものです。(参照:http://www.frittsorgan.com/opus_pages/galleries/opus_25/photo_gallery.html)日本で優勝したからこそ、このような自分のキャリアを達成できたのだと強く信じています。ずっと前からさまざまなコンクールに入賞し、一生懸命に活動していましたが、この東京での入賞がきっかけとなり、多くの人の目を引きつけることになったのだと思います。だから、このコンクールで競争をする機会を得られてことにとても感謝をしているのです。私の主な活動場所は北米ですが、日本にも2回ほど戻って演奏をする機会を得ました。その後は不幸にもパンデミックによって私たちのパフォーミング・アート業界は影響を受けています。パンデミックが終息したら日本を再訪したいです。日本に訪れ、日本でコンサートをすることが大好きなのですから。

(原文:After I won the competition, I was signed by Karen McFarlane Artists, Inc. The management also brought attention to my reputation and I recently accepted the position of Principal Organist and Assistant Director of Music at St. Joseph’s Cathedral in Columbus, OH. The organ at St. Joseph’s is by the American organ builder, Paul Fritts. Pictures and its specification may be found here: http://www.frittsorgan.com/opus_pages/galleries/opus_25/photo_gallery.html I firmly believe that my career accomplishments were achieved because I won the competition in Japan. I may have worked hard and for a long time before then, and even won other competitions, but the prize in Tokyo was enough to get the attention of people in my field. I am so grateful to have had the opportunity to compete in the Mushashino-Tokyo International Organ Competition. My management is in North America but I have come back twice to play in Japan. After that, the pandemic unfortunately affected our world and especially the performing arts. I hope to come back when the pandemic is over. I love visiting and especially playing concerts in Japan!)

・回答翻訳:金成めい、大鐘亜樹
・記事編集:金成めい、大鐘亜樹