武蔵野市国際オルガンコンクールを育ててきた人々〜オルガニスト松居直美さん編〜

 武蔵野市民文化会館小ホールには1984年の開館当初からパイプオルガンが備わっている。当ホールにて1988年から4年に一度開催されている武蔵野国際オルガンコンクールについて、武蔵野のパイプオルガンに長年携わっている松居直美さんにお話を伺った。

*プロフィール
松居直美 Matsui Naomi 

国立音楽大学オルガン科、同大学院修了。西ドイツ国立フライブルク音楽大学演奏家コースを「最優等」で卒業。1979年「第2回日本オルガンコンクール」、1983年「第21回ブダペスト国際音楽コンクール」で優勝。帰国以来、国内はもとよりヨーロッパ、アジアでも定期的に演奏すると同時に、内外のオーケストラとの共演や啓発活動にも積極的に携わる。2013年には「J.S.バッハ:ライプツィヒ・コラール集」で文化庁芸術祭レコード部門優秀賞を受賞。平成13年度文化庁短期特別派遣員。ライプツィヒ国際バッハ・コンクールなど、国際コンクールの審査員も務めている。ソニーレコード、カメラータ等から多くのCDをリリース。平成25年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞受賞。平成26年度下總睆一音楽賞受賞。所沢市民文化センター・アドバイザー(2018年まで)、ミューザ川崎シンフォニーホール・アドバイザー、武蔵野文化事業団理事及びオルガンアドバイザーを務め、各地のホール運営に携わりながらパイプオルガンに関する行事を企画する。武蔵野市文化会館では「J.S.バッハ:オルガン作品全曲演奏会」が2014年から進行中で好評を博している。2018年からは同会館にて小学生から高校生までを対象とした「パイプオルガン・スクール」を夏休みに開講。2019年リリースの「D.ブクステフーデ・オルガン作品集「ロスキレ大聖堂 / デンマーク」(カメラータ)は、レコード芸術特選を獲得した。共編著に「オルガンの芸術」(道和書院 2019年)がある。日本オルガニスト協会、日本オルガン研究会所属。聖徳大学音楽学部教授。一社)日本オルガニスト協会、日本オルガン研究会、一社)全日本ピアノ指導者協会会員。日本基督教団小金井教会オルガニスト。1977年より武蔵野市在住。

<武蔵野市とパイプオルガン>

金成:まず専門家の方から見ると武蔵野市のパイプオルガンはどのようなものだと評価できるのでしょうか。

松居直美さん(以下、敬称略):ご存知のように武蔵野市民文化会館の場合にはオルガンが入っているのは、大ホールではなく定員425名ほどの小ホールなんですね。それは市が導入を検討した時に、子供から大人までの多くの市民、特に子供たちが楽器に上質な空間で親しめるようにという意図があったからだと記憶しています。この施設の場合、小ホールはリサイタルホールという位置付けになっていて、多目的の大ホールと比べて、非常に音響にこだわっています。上質な良い響きで音楽を楽しんでもらうためのホールです。

金成:そこにパイプオルガンが入っているのですね。

松居:導入されたデンマークのマルクーセンの楽器というのは国際的にも非常に評価の高いものです。こじんまりとしたホールなので、他のホールのものと比べると形も小さいですし持っているパイプの数、つまり音色の種類も少ない。ですが、非常にうまくできていて過不足がないと言えます。一般的に大オルガンでしか弾けないと思われるような楽曲でも十分に弾けますし、それだけうまく音色の組み合わせができるように考えられています。決して大きいとは言えないけれども非常に汎用性も高いですし、作りがとても良いですね。ですから弾きやすいです。

(金成訪問時撮影。2021年2月。)

金成:質の高いパイプオルガンですが、市民が親しみやすいように、ということを意図して小ホールに設置されたということが良く分かりました。
その一環として2016年から始まったオルガンスクールや、第6回オルガンコンクールと関連して2008年から始まったパイプオルガン体験ワークショップなど、市民が直接パイプオルガンと触れられる機会の形成に松居先生は携わっていらっしゃいます。この催しに対する受講者の反応や、武蔵野市民の文化活動への影響についてどうお感じでしょうか。

松居:実はこういった活動は武蔵野のホールだけではなく日本中のホールが行っています。パイプオルガンって「一家に一台」あるような楽器ではないので馴染みが薄いですよね。その上キリスト教の楽器というイメージが強いし、なんとなく距離感があって、なんだかよく分からない。そういう中でパイプオルガンに関わる人たちが「どうしたら、親しんでもらえるだろうか」ということを、ホールにこの楽器が来た時にみんなで考えたのです。そうして体験してもらうとか、習いたい人には習ってもらうとか、色々な取り組みが始まりました。

金成:武蔵野市の取り組みについてはどうでしょうか。

松居:少し特殊かもしれませんが、こちらのホールでは年間100本以上の事業を開催してきており、それをかなりの確率で満席にしてきていました。「友の会」の会員のお力も含めて、主催側の優れたマーケティングや企画力があってそうなってきたと言えます。
ただその中で特別にオルガンをクローズアップするゆとりがなかったということはありました。当初はスクールを開催したり市民のみなさんが主体的に関わる、またはそれぞれの求めるものに寄り添うという意識が強かったとは言えないと思いますが、それは武蔵野に限ったことではなく、20世紀は、一流の良いものを提供することを至上とする時代であったため、と思います。

金成:最近の傾向としてはどのようにお考えでしょうか。

松居:かつてのように、素晴らしいコンサートだけをやればよかったという時代では今はなくなってきています。文化に対する社会の考え方が変わってきています。ただ良いものを聴ききに来てもらうというだけではなく、各人にとってそれぞれの方法で音楽が常に身近にあり、今は少し困難ですが、音楽を通じて人と人がつながり、日常生活の中に豊かさが感じられるなど、芸術文化活動が社会の中で持つ様々な役割、生涯学習を含めた情操教育の大切さが、この10年くらいで再認識されてきたと思います。
武蔵野でもそうした流れを受けて、様々な層の市民が参加できる多彩なプログラムの制作に力を入れ始めているということだと思います。

金成:なるほど。聴くだけ、聴かせるだけではない市民の文化活動の場として武蔵野市では、このホールがこれから機能しようとしているのですね。

松居:そうですね。音楽界を眺めてみても、巨匠だけが中心の時代ではもうないのです。観客も演奏者も、価値観や嗜好が多様化してますし、世界中の誰でも知ってる有名な方の演奏を聴けばみんなが満足できるという訳ではなくなっています。個人がそれぞれの方法で文化を自分のものとして触れたいと思っているし、公益財団や市のホールなどはそのような機会をますます提供しなければならないという風に変わってますよね。

金成:音楽だけでなく、他の芸術分野においてもそのような傾向は見られますよね。だれもがアーティストに近づけて、みんな一緒に楽しめるというものになっています。

松居:そうですね。アーティストは社会と乖離しがちでしたから、彼らの存在が、ひとりひとりが文化に触れ、心豊かな生活を送るための一助になることにつながればと願います。
そのために武蔵野市では、パイプオルガンを多くの市民に開かれたものとして提供しているのだと思います。誰でも持てるものではないですしね。

金成:先生が練習などをする際もどこかのホールへ行くということになるのでしょうか。

松居:メンテナンスを兼ねて、ホールのオルガンを弾かせてもらう機会も多くあります。でもそれはコンスタントにできることではないし、私の都合で借りるわけにはいかないです。やっぱり自分の都合のつく時間に練習しようと思うと、自分で持つということになります。これがそうなんです。
仕事にしているのですから、自分の楽器を持つことは当たり前といえば当たり前ですね。

(先生のご自宅に設置されたパイプオルガン)

金成:わあ! 扉が閉じてあると気づかなかったです。

松居:5年ほど前に導入しました。教えたり自分が練習したりするために、どこかの楽器をお借りするだけでは上手くいかない部分も多くて。教会では急にお葬式が入ってしまったということもありますし。午前中はどこに行って、午後はあそこに行くということもなくなり、体力的にもとても楽になりました。

伊達:とても羨ましいです。

松居:それは、商売道具ですからね。

<武蔵野市と国際オルガンコンクール>

金成:キリスト教教会というイメージが強いパイプオルガンですが、今は日本各地の音楽ホールにも設置がされています。

松居:日本の場合、やはり最初、つまり明治時代はまず教会に入りましたね。そして戦後、オルガンが広まるきっかけとなったのは1973年のNHKホールの大オルガンの設置で、これがエポックメイキングな出来事だったと言えます。それから1986年にサントリーホールに入りました。ここからパイプオルガンは本格的に、誰でも聴ける、見に行けるものになりました。そしてバブル期に、地方都市でもホールを建て、オルガンを買うという事例がいくつも発生したのですね。現在、1000台を越えるオルガンが日本中にあります。しかし、すぐに「買ったはいいけどどうやって使うの」という問題を抱えることにもなりました。それが最初の話に繋がります。

金成:他の自治体のオルガンを取り巻く環境と見比べてみると、武蔵野市は国際オルガンコンクールが開催されているということが特徴として挙げられると思います。
先生もご入賞された日本オルガンコンクールが引き継がれる形で、武蔵野文化事業団と日本オルガニスト協会の共催による国際オルガンコンクールが開かれることになったと理解しております。

松居:はい。日本のオルガン教育は明治時代に始まりますが、20世紀後半、楽器が増えると共に広がってゆきました。そこで、まず最初は国内のコンクールを作ろうと当時のオルガン界の先生たちが考えたわけです。やはりコンクールというのは若手にとっては目指すべき目標になり、結果によらず実力がつくので、神奈川県民ホールさんの協力を得て、1975年から4年毎に3回開催されました。
その頃から、私も含め若いオルガニストたちは、国内で勉強してから海外、主にヨーロッパへ勉強に出るようになりました。やはり「本場」に行く必要があったのです。それで海外の国際コンクールにチャレンジしていく人も増えてきたので、それを踏まえてこの辺で日本でも国際コンクールをやろうじゃないかと、オルガン界が考えたことが始まりです。

金成:そこで武蔵野市のパイプオルガンが選ばれたのですね。

松居:はい。当時の先生方が、日本オルガンコンクールの今後を考えていた時に、武蔵野に新しくホールが建つという情報があったのだと思います。楽器の選定に関しては、当然、専門家の先生からのアドバイスが入ってましたし、武蔵野の新しいオルガンは非常に良いものだという認識がオルガン界で共有されていたのだと思います。そして、この新しいオルガンを活用する手段として、国際オルガンコンクールを始めてみませんか、ということをオルガン界の方からアプローチをしたのがきっかけだったと理解しています。
その時に当時の武蔵野市の市長さんたちが、市の宣伝にも、国際交流の手段にもなるし、ぜひやりましょうということで合意が成り立ち、日本オルガニスト協会との共同主催という形で国際コンクールが始まりました。

金成:1996年の第3回までは日本オルガニスト協会と武蔵野文化事業団との共同主催、2000年の第4回からは武蔵野市と事業団の共同主催となったそうですね。
一級品のパイプオルガンは国際的な舞台にも相応しかったのだと思います。

松居:当時はまだパイプオルガンのファンを形成する初段階でもありました。パイプオルガンへの認知度を高めることも重要な目的の一つだったと言えます。

金成:武蔵野市民に対して国際オルガンコンクールが与える影響というのはありますでしょうか。

松居:1988年の第1回の時には、国際交流の観点から、出場者が市内のお宅にホームステイをするという形で市民との交流の場が設けられました。当時コンクールに出て、ホームステイをした人が演奏家になって、今、日本に来ることがあるんですよ。その時に、当時のホームステイ先の人がコンサートに来てくれたり、という交流が続いています。こういう交流がある意味、本当の国際交流だと思いますが、運営側はかなり大変だったと思います。参加者とホストファミリーのマッチングや生活様式の差異、協力者の高齢化という部分でだんだん問題が増えて、第3回頃に中止となってしまいました。

金成:たしかに今とは国際交流に対する意識も異なるでしょうし、大変だったと思います。

松居:今どきの他のコンクールでは良く見られるような、ボランティアを募り、協力してくれる人を組織するという交流の仕方は、当時はまだパイプオルガン・ファンの裾野が狭いために難しかったのかもしれません。あれから20年くらい経った今は、日本中の意識や状況、オルガンに対する認知度も変わってます。次の大会があるとしたら、もっとそういうことを広くやるべきというか、やれる土壌はあると思います。当時は全部が新しかったのでしょう。

<これから・・・>

金成:これからさらに武蔵野市民を含め多くの人々にパイプオルガンに親しみを覚えてもらい、コンクールの意義を理解してもらい、そして安定した運営をしていくためにはどのようなことが必要だと考えていらっしゃいますか。

松居:市民の人たち、周りに住んでいる人たち、あるいはパイプオルガンに興味を持つ人たち、関わる人たちが、自分たちの出来事としてコンクールを支えようと思ってくれるようなムーブメントを作っていくことだと思います。

実は、今までも国際オルガンコンクールの予選を公開するとチケットは結構売れたんです。これからは聴きに来てくれるだけじゃなくて、場合によっては運営にも携わったり、応援してくれるような人が増えるといいと思います。

金成:市民の関心をさらに深めることが重要なのですね。

松居:そのためには、やはり身近に感じてもらうための発信を続けるのが大前提ですが、同時に、コンクールに出たいと思う若者を育てることも必要だと思います。「パイプオルガン・スクール」に通った地元の子が、音大のオルガン科に行って、最終的に地元で活躍の機会を得て応援してもらえる、というのは理想ですね。スクール生全員がそうなることを望んでいるわけではありませんが、スクールをやっている理由の一つには、そういう可能性を提供するという面もあります。いずれにせよ、感受性が柔軟な子供時代にオルガンに触れることで、将来のオルガンの優れた観客になってくれるということでしょう。だから聴衆を育てるという意図もあります。また、子供の背後には家族もいます。

金成:次世代のファン層を厚くするために今の活動があるのですね。

松居:そういうことくらいしかできない、と思うんです。啓発って時間がかかる。世代から世代へと育ててゆくことで、本当に定着してゆくと思います。誰かからぽん!と与えられただけではだめでしょう。だから、花火をあげることも大切ですが、「継続は力」、地道に一歩ずつという風にやっていくしかないのでは、と思っています。

金成:「パイプオルガン・スクール」に通うお子さんはどのような子たちなのでしょうか。

松居:大抵はピアノやエレクトーンなどの経験がある方です。それまで鍵盤に触れたことがほぼ無いという方に対してはもっと気軽な体験会を提供しています。親御さんと一緒に来て、10分くらい一緒に弾いてみる。親子ともにわあっと感激していく様子をよく見ています。

金成:幼いころにパイプオルガンに触れるという経験をする子供たちが羨ましいです。きっとその後の人生での音楽との関りに多かれ少なかれ影響はある気がします。

松居:様々なレベルの体験の仕方を用意し、パイプオルガンそして、その他多くの文化体験への門戸を広げておくことが重要なのだと思います。

金成:これから武蔵野市とパイプオルガンがどのようになっていくのか、長いスパンで注視したいと思います。

本日はお忙しい中ありがとうございました。

<おわりに>

 武蔵野市と武蔵野市文化事業団、そして日本パイプオルガン協会が、オルガニストの活躍の機会を作るために国際オルガンコンクールは始まった。コンクールとはアーティストたちその腕を競い、観客が応援をする場であり、それぞれの芸術分野が健全な成長をしていくために必要な場所だと言える。
 しかし、それが公立ホールで開催されているからには市民のためにも還元される必要があるだろう。松居先生をはじめとしたパイプオルガンの関係者は、武蔵野市民がパイプオルガンとの距離を縮め、それから理解や親しみを深めることができるように活動をしてきた。これは10年以上前から続く険しい道のりだ。だが、パイプオルガンに触れることで武蔵野市の住民、そして子供たちが何かを感じ取り、彼彼女たちが広く芸術文化に親むための足掛かりとして欲しい、という関係者たちの思いはこれから進むべき道を確実に照らし続けている。

(ありがとうございました!)

インタビュイー:オルガニスト 松居直美さん
実施:2021年2月8日(月)、Zoom Meetingにて。 
聞き手:金成めい、大鐘亜樹、伊達摩彦
編集:金成めい

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