大橋一範さんインタビュー〜雑学大学編〜

雑学大学での講義の様子(週刊きちじょうじ公式HPより)

 武蔵野市民の学び合いの場である「吉祥寺村立雑学大学」は今年で創立42周年を迎えます。今回は週刊きちじょうじの編集長であり、雑学大学の設立・運営にも関わってきた大橋一範さんに独自の運営システムや、雑学大学のこれまでとこれからについてお話を伺いました。

「週刊きちじょうじ」に関するインタビュー記事はこちら→<週刊きちじょうじ編>
「大橋さんと武蔵野市」に関するインタビュー記事はこちら→<「武蔵野市メディア文化のレジェンド」大橋一範さん>

1.吉祥寺村立雑学大学とは?

「講師料タダ、受講料タダ、会場費タダ」の「三タダ主義」に基づいて市民が立ち上げ、誰もが教授にも生徒にもなれる自由な学びの場です。教授は自分が講義したいテーマを基に自由に話すことができ、毎週土曜日にその週担当の教授が2時間講義を行います。講義内容は昭和歌謡史、旅行体験記、地球温暖化、日中外交史など多岐にわたり、シリーズ化している講義も多くあります。生徒側は手続き一切不要、遅刻・早退・欠席自由と、誰もがふらっと訪れて講義を聴くことができる自由な校風です。週刊きちじょうじに掲載される「吉祥寺村立雑学大学通信」で各週の講義まとめを読むことができます。

吉祥寺村立雑学大学公式HPはこちら

2.雑学大学のはじまり

「立ち上げのきっかけ」

1979年設立当時、大橋さんを含む武蔵野市の長期計画の策定委員のメンバー達をはじめ20人ほどが発起人となり設立された雑学大学は、飲み屋で話し合って始まったそうです。

--大橋さん自身としてはどういう気持ちで雑学大学を始めたいと思ったのですか?

大橋さん:スペースメディアのメイキングを僕はしたかったので。メディア作っちゃったら中身とか何かをやるっていうのは人任せに本当はしたいのね、なるべく。だから作っちゃえばね、本当は興味ないの(笑)興味ないって言ったらおかしな話かもしれないけど。

メディアに若い頃から高い関心を持ち、メディアの枠組みを作ることが好きな大橋さんは、雑学大学を立ち上げた後、初めはほとんど出席していなかったそうです。初代学長は吉祥寺在住の音楽家、和眞人さん(別名:日村眞人さん)、その後はのちに神田雑学大学を立ち上げた三上宅司さんと、吉祥寺雑学大学の現副学長である大竹桂子さんが責任者を担っていました。

 現在は、大橋さんが週刊きちじょうじの取材も兼ねてほぼ毎回雑学大学に出席し、会場の手配などを行っています。

--20人いた発起人の中では大橋さんはどういう立ち位置だったのですか?

大橋さん:結局事務局はずっとうち(週刊きちじょうじ)だからね。なるべく僕は何もしない派なんだけれども、雑学大学がいわゆる「存亡の危機」なんていう時には必ずやらなきゃいけないわけ。雑学大学の会場が使えなくなったら次の会場を探すのは僕なんですよ。誰かが探して来てくれるわけではなくて、僕のネットワークを使ってね。

「吉祥寺であることの意味」

--立ち上げの際に吉祥寺で雑学大学をやる必要性を感じていたのですか?

大橋さん:ないない。あまりこうあるべきだとか考えない人間だから。吉祥寺ってのは学者がウロウロ600人くらいいるわけで、東大の教授だけでも30人くらいいたんだよね。だから教授をたくさん作ろうと(笑)雑学大学で一度講義をした人は、吉祥寺村立雑学大学教授というのを名乗れるようにしているわけ。教授の試験もないしね。

吉祥寺は昔から大学教授などの知識人が多く在住すると言われていますが、雑学大学では誰もが「教授」になることができます。大橋さんは吉祥寺という街に課題を感じて雑学大学を設立したわけではないそうですが、市民の中で教授をたくさん作ろうという思いはあったようです。

3.雑学大学を支えるシステム

「三タダ主義」

--三タダ主義にはどういう意図があるのですか?

大橋さん:基本原則をなるべく持たないっていうことなのね。あの頃は市民大学ってのが流行ってたっていうと変だけども、(他の市民大学は)みんな真面目なの。でも雑学大学はなるべくやらなきゃいけないことをミニマムにするのね。まあ東大は真面目だから基本的にカリキュラムってのがあるでしょ?雑学大学はカリキュラムってのがないから。その代わり卒業もないけどね。もう来ないって決めたら卒業。(笑)

吉祥寺雑学大学の決まりごとは必要最低限に留められています。講義への事前申し込みは必要なく、途中参加・途中抜けも許可されており、それぞれの参加者が自分のマインドを持ち、自由な参加のあり方が期待される吉祥寺雑学大学では、複雑なシステムも統一的なポリシーも存在しません。運営面でも、他の雑学大学に見られるように各回運営メンバーが講義のテーマを話し合ったり、その都度チラシを配って宣伝したりということはないそうです。

大橋さん:「Simple is beautiful」っていうね。能書きは実はいらないんだ。

「自由な参加者たちの役割」

 雑学大学はシステムだけでなく参加者たちの役割も自由です。雑学大学のホームページはパソコンを使った通信が始まったばかりの頃に作られましたが、それは大橋さんが依頼したわけではなく、当時パソコンに詳しかったメンバーの一人が勝手に始めたものだったそうです。

--雑学大学は「自由」というのがキーワードなのでしょうか?

大橋さん:結果的に自由なんですよね。自由を標榜しているわけでもなんでもない。ただ制限しようとしたらそれはなるべく取り除く。勝手に始めたことを、なぜ俺の了解を得ないでやったんだみたいなことは一切言わないから、よっぽど変なものでない限り、雑学大学ではやりたい人はやりたいようにやればいい。僕はそういうの否定しないから、この人はこういう風にやりたいんだーってね。

 現在でも参加者は大橋さんに指示されたわけでもなく、大橋さん曰く「勝手に」出来上がった役割を担っています。例えば回を重ねるにつれて、本来は存在しなかった雑学大学開講の挨拶を毎回行う担当、出席ノートを必ず持ってくる担当、最近では会場をアルコール消毒する担当などが登場して来たそうです。

--講師集めはどのように行っているのですか?

大橋さん:雑大で喋りたい人って本当に多くて、だから今は3ヶ月に1回以上は駄目って制限してる。毎週喋りたいっていう人も出てくるけど、その人一色になっちゃったら困るから。でも、依頼しないと集まらないこともずいぶんあったからね。そういう時は雑学大学関係者の周辺にいる人を捕まえていたわけですよ。

「100円ドネーション」

雑学大学はサンタダ主義のもと活動し、場所代も人件費もかからないため雑学大学の本会計としては資金の動きは全くありません。しかし、雑学大学終了後の食事会では「100円ドネーション」という面白い活動が行われています。

食事会の際、参加者たちは講師の食事代を出すために全員1人につき100円をドネーションします。予算1000円程度のお店で参加者が10人以上集まった場合、講師の食事代をドネーションで賄ってもお釣りが出てくるため、その余ったお金が長い年月をかけて少しずつ溜まっているのだそうです。

大橋さん:(100円ドネーションが)積もり積もって何円と貯まってきているわけ。雑大の本会計っていうのは0円なんだけども、そっちは食事会のお金だから雑大のお金じゃないのよ。

当然このお金は貯めたまま使わないのではなく、例えば会場を貸してくれている人にお歳暮を贈ったり、雑学大学に必要な中古の機器を購入したりと、雑学大学のための様々な用途に使われています。ちなみに雑学大学には、100円ドネーションで集まったお金をマネージングする担当者もいるそうです。

4.雑学大学のコミュニティ

2019年当時のプロジェクターやパソコンを用いた講義の様子。また、多くのシニアが参加していることが分かります。(週刊きちじょうじ2291号より)

「参加する目的は人それぞれ」

--生徒さんとして来る方はどういう人が多いのですか?

大橋さん:暇な人ですよね。土曜日暇な人。要するに、週に1回ぐらい、どうしても行き先を見つけたい人っていうのは、老人になって行くところのない人たちとかですね。やっぱり行きたいんですよね、そういうの毎週。だから、テーマを見て、興味を持って参加するっていう人も当然いるんですけど、今日のテーマが何か分からなくてきたっていう人も結構いるんです。

例えば参加者の女性たちは雑学大学終了後に喫茶店でおしゃべりする女子会を開いているそうです。また、現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止になっていますが、普段は講義終了後に参加者と講師が一緒になって親睦を深める食事会が開かれています。雑学大学はこのような参加できる場の限られた高齢者のコミュニティとしての役割も果たしています。

「様々なバックグラウンドを持つ参加者たち」 

--先ほど高齢の方が参加されるとおっしゃっていましたが、若者の参加者は少ないのでしょうか?

大橋さん:少ないけど来たりはするよ。高校生とか女子大生とかもあった。それから毎年、ルーマニアからの研修生が来たときには、必ず最初の挨拶で喋ってもらうことになってる。彼らは二十歳前くらい。あとは、雑学大学の関係者からの紹介で話が面白そうな人が来ていたら飛び込みでやってもらう。そんな時は雑大は新人歓迎だから、何回も講義している人は後回しにしてレギュラーをどんどん冷遇する。大学の教授の世界とは逆なんです。

 武蔵野市はルーマニアのホストタウンであり、ルーマニアの若い学生が雑学大学に登壇することもあるそうです。参加者の属性への制限は一切なく、年齢だけでなく居住地も多様。もちろん武蔵野市周辺に住む人は多いですが、雑学大学でプロジェクターやパソコンなどの設備のセッティングを担当している参加者など、近隣区から毎週通っている人もいます。レギュラー講師の中にも品川区や八王子からわざわざ足を運んでくるような人もいるそうです。

--遠くから来る方はどんなきっかけから雑学大学に参加するようになったのですか?

大橋さん:時々忘れた頃にマスメディアが扱ったりするから、それ見てやって来たりとか。多分居心地がいいんでしょうね。遠くから来てもずっといる人も多いんです。八王子の人は毎週来ますよ。

 雑学大学は登壇する講師の扱うテーマも実に様々です。例えばSPレコーダーのコレクターである人はレコーダーから切り取った昭和の歌謡史について扱い、日本企業の中国進出のコンサルティングを行っていた経歴がある人は、自身の中国とのネットワークを活かして中国について話すそうです。この講義題目の多様さはまさに「雑学」大学であると言えます。

5.雑学大学の分校派生

「広がっていく雑学大学」

 雑学大学の発祥は吉祥寺ですが、現在では神田や西東京、三鷹など全国に多くの雑学大学が生み出されています。しかし、これらの全国の雑学大学の立ち上げに大橋さんが関わって来たわけではなく、雑学大学の派生もまた、自然発生的に作られていったものなのだそうです。

--他の雑学大学の立ち上げにも関わっていらっしゃったんですか?

大橋さん:勝手に作るんですよ。本当関係なく。吉祥寺の次に出来たのは神田雑学大学ですけど、神田は吉祥寺でずっと幹事をやってた三上さんという人が、仲間と自主的に始めたんだよね。さらにその同級生の人たちが一緒に作ったのが今の東京雑学大学です。

 神田雑学大学を設立したのは、吉祥寺雑学大学でも一時期責任者を務めていた三上宅司さんです。三上さんは「雑学大学伝道師」という雑学大学を全国に広める取り組みも行っていますが、この伝道師の育成を今後もっと進めようと大橋さんは計画しているそうです。

 大橋さんによると全国の雑学大学たちは独立して発生したものであるため、平時は他の雑学大学との連携はあまりないそうです。しかし、雑学大学が30周年の時には小金井や三鷹等の4つの雑学大学が集結し、「雑学大学シンポジウム」を開いたこともあり、その時は盛況だったそうです。

 吉祥寺村立雑学大学創立30周年記念シンポジウムの記事(週刊きちじょうじ1800号より)

「色々な雑学大学と吉祥寺の特徴」

--他の雑学大学と吉祥寺雑学大学には違いはあるのですか?

大橋さん:三鷹の雑大は月に1回ぐらいでやってるんですよ。僕は忘れちゃうから月1回の方が大変だと思うんだけどね。毎週やってると学校のカリキュラムと同じで、「土曜日の朝は雑学大学だ」ってスケジュールになるんだけど、それが月1回だと忘れそうになるから、僕はいい加減にやりたいので毎週あった方がいいです。

三鷹雑学大学の他にも東京雑学大学や神田雑学大学など、多くの雑学大学はNPO法人として登録されています。一切の資金を使わないシステムで成立する吉祥寺村立雑学大学と違い、NPO法人として様々な処理を行い、公的な資金を受け活動している雑学大学もあります。

大橋さん:吉祥寺雑学大学は、一切の補助金とか寄付金から常にフリーハンドでいたい。「NPO法人になりませんか?」って東京都から昔言われたこともあったんだけど、「うちはお金が動かないから、なりません」って言った。(笑)この辺がマインドの違いなんですよ。NPO法人は我々よりも市民団体としてすごく立派なんですよ。でも、我々は肩書きが無くても活動できるんです。

吉祥寺雑学大学が一切の資金繰りからフリーハンドで居られるのは、吉祥寺雑学大学の圧倒的な自由さや、100円ドネーション、しょうがないネットワークなど独自のシステムと、大橋さんの地域との繋がりに支えられている側面があるようです。

※詳しくはインタビュー記事「武蔵野市メディア文化のレジェンド 大橋一範さん」をご覧ください。

--(分校設立にあたって)明確な決まりごとは必要ないと?

大橋さん:だってそこで中心になって行く人が勝手にできればいいじゃない。東大の学長はそうもいかないんだろうけど、やっぱり雑学大学は学長が自由にやれた方がいいんだよね。

6.雑学大学のこれから

--この先雑学大学をどう残していきたいとお考えですか?

大橋さん:別に残そうと僕は思ってないよ。残るかもしれないけども、僕の死んじゃった後は知らないよ。つまり雑学大学ってのは、メンテナンスコストがかからないから、日常的に残そうと思えばできるよね。現実的な問題って、僕がこの世から消えた時、いわゆる僕のポジションを代わってくれる人が生まれるかどうかですよ。だから吉祥寺の雑学大学が僕の手から離れて、存在するようになる形だと、まず会場の問題があるでしょうね。まあ武蔵野の場合だったら、コミュニティセンターと共催で継続的にやるという手はあるね。

その一方で大橋さんは「雑学大学」というシステムに関してはもっと明確で具体的な物にできないかと検討しているそうです。全国にある「雑学大学」をまとめるネットワークを作ったり、雑学大学伝道師の育成を計画していたり、今後そういったものを進めていきたいという思いが大橋さんにはあるそうです。

大橋さん:でもどんなものでもね、本人が残そうと思って残るわけじゃないんだよ。日本の中に何百年も続いてるお店ってあるじゃない。あれはすごいね。ああいうところって続けようとしてる。家訓てのがあったりしてさ。徳川家康だってああやっていろんな家訓を作ったから300年持ったんでしょ。だから続けようとしたものがあるわけですよ。だから老舗って言われてるところってのはそういうのがちゃんとしてて、何やら十訓とかね、必ず作ってるんですよね。

--続けようとしていないのに、続いてるのもすごいです。

大橋さん:しょうがないからですよ。だって、やめるっていうのはものすごくエネルギー必要じゃないですか(笑)

雑学大学が長く続いている背景には、継続に対する強い意志や努力があった訳ではないと大橋さんは語ります。それでも雑学大学が何十年も続いてきたのは、雑学大学という場を求め、関わりたいと思う人達がいるからです。気負わないシンプルなシステム、人々が自主的に参加したくなるメディアの場など、長続きの秘訣は雑学大学の仕組みそのものにありました。

文責:土井佑夏 
編集者:池田寧夢 
撮影者:土井佑夏
聞き手:池田寧夢、江口善宜、土井佑夏、塘内彩月

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