【手塚一郎さん】文化を壊せ〜ハモニカ横丁仕掛け人の頭の中〜

はじめに〜インタビューの経緯〜
 地域が文化的であるとはどういうことか。これがゼミの今年度のテーマでした。このテーマを考えるにあたり私たちは地域のお店に注目しました。というのも、地域の文化とは、伝統や芸術、市民活動だけではなく、どんなお店があるかどんなイベントがあるかそのような商業的な営みによっても形成されているのではないかと考えたからです。そして武蔵野市・吉祥寺の文化の形成に寄与してきた商業的な営みの一つとしてハモニカ横丁が挙げられます。そこで、ハモニカ横丁で10を超える店舗を経営されている手塚一郎さんの思いや考えを知ることで地域が文化的であるとはどういうことが見えてくるのではないかと考えインタビューさせていただきました。

https://youtu.be/iwLVZseWXYY

手塚さんプロフィール
1947年、栃木県生まれ。国際基督教大学卒。79年、吉祥寺にビデオ機器販売店を開店。81年にビデオ・インフォメーション・センターを設立。98年、吉祥寺駅前のハモニカ横丁に「ハモニカキッチン」を開店。現在は同横丁内だけでも10店以上を展開。「ハモニカキッチン」「グランキオスク」「ヤキトリてっちゃん」他。

【面白い人たちとの仕事】
 インタビューの中でまず立ち現われてきたのは、名の知られた「面白い」人と関わりながら、ハモニカ横丁を作り上げて行く姿でした。インタビューの実施場所である「スモール ノ ジッケン」でも、隈研吾さんのゼミ生との関わりが見て取れました。

 スモールの実験は、「吉祥寺は家賃が高すぎるので、ワンブース1万5千円とか2万5千円とかで月貸ししますよ」というもの。ブースの枠は、隈研吾のゼミのやつが、圧縮して捨てる発泡スチロールのゴミで、作ってくれたの。

写真1:「スモール ノ ジッケン」の店内。インタビューの実施場所でもありました。(撮影:橋本)

 隈さんとは、4件店をやっていますね。下北に2つ、三鷹に1つ。で、吉祥寺の「てっちゃん」という焼き鳥屋。これが最初だったんだよね。
 出会いは、世界的な建築ジャーナリスト、フチガミさんを通じて。彼は横丁で毎日飲んでいて。「横丁の中の焼き鳥屋の壁をぶち破ってこういう風にやりたいんだけど、誰かいないか」と聞いた。そしたら、「隈ならやるかもしれない」と言ったので、企画書を書いて。1月のすごい大雪の日に来たんですよ、隈さん。焼き鳥食べて、「ビンボー」というお店で一杯飲んで、大雪だったからタクシー乗ったけど、結局明け方なんですよ、帰れたの。全然そういうの平気なんですよ。そういうことを苦にしない人なんだな。来た時に、「横丁の木のつくりみたいなのは日本の財産だ、なんかの形で継続していくしかないんだ」ということを一生懸命言っていました。

 隈研吾さんと生み出した、焼き鳥屋「てっちゃん」。ここではほかにも、イラストレーター・湯村輝彦さんとの関わりがあります。手塚さんは、湯村さんの才能に惚れ込み、「てっちゃん」のウォールアートとして「いやらしい絵」をオーダーしました。一風変わったオーダーに潜む、手塚さんの考え方とは。

 なにかあまり普通じゃない、新しいことを、「え?なにこれ?」ということを、やりたくて。

 焼き鳥屋なんだけど、カウンターは木じゃなくてアクリルでできていて、いやらしい絵がこちら一面にある。だけど焼き鳥を食べる人って、無頓着に飲んでいるんだよね。完全にスルーされて、これでもダメなのか、もっともっと激しくヒドいことをしないと伝わらないんだっていうのが、これをやったときに反省。
 演劇なんかもそうだけど、10くらいの仕掛けがあって、ものすごく激しく訴えないと、見てる人はなかなか気がつかないんだよね。もちろんプロの人は気がつきますけれど。

写真2:焼き鳥屋「ヤキトリてっちゃん」の店内。アクリルのテーブルと壁に描かれた「いやらしい絵」。(出典:VIC公式ホームページ
http://hamoyoko.jp/menu/kichijoji_tecchan/)

【「すごい退屈しているんですよ」】
 普通じゃない、新しいことをやりたい。手塚さんの強い思いは、どこから来るのでしょうか。

 「団塊の世代」という競争の集団の中にいたから、自分でしかできない何かというのに引っかかっているんだろうね、まだ。実際は自分一人でやっているわけではなくて、なにかが偶然の化学作用のようにできるんだけど、その時に「あれ、これ面白いな」と思えるといいな、っていう。すごい退屈しているんですよ。3つか4つくらいのときに隣のショーウィンドウを見て、僕が一番最初に喋った言葉は「つまんねえな」でしたよって母親に言われましたからね。

【飲食はとっても面白い業態】
 手塚さんはハモニカ商店街でまずビデオ機材専門店を始め、そのあと、業種を大きく変えて焼き鳥屋を始めました。様々な商売を行う中で、お金やビジネスへの意識は、手塚さんの中にあるのでしょうか。

 ビジネスとしてお金を儲けるのでやろうと思って何かをやってみたことは、考えて見たら全然ないんですよ。
 ビデオの情報センターで、状況劇場の「紅テント」など何個も撮っていたけれど、1時間1万円もするんですよ。50時間撮ると50万かかっちゃうんです。みんな稼いだ金をそこにつぎ込んで。すごく過酷に仕事をして、すべてそのビデオテープにつぎ込んで、給料は月5万円とかでやっていました。
 それで、ビデオカメラやビデオテープが定着して、みんな自分で録画できるようになりました。これで「もう仕事は終わったな」と思ったところで、たまたま焼き鳥が好きなので、ハモニカキッチンというのを始めました。いまでも、毎週土曜日5時から7時くらいまでの間、紀伊国屋で肉の仕入れをして、串を刺して、2時間焼き鳥を焼いているんですよ。僕焚き火大好きなので。呆然と見ているのがいいですよね。
 飲食をやって思ったのは、飲食って境界を超えるのに一番面白い業態なんですよ。飲食って、内装、建築、アート関係から、食器を選ぶときには陶器の勉強もしないとならない。それから、オリジナルに自分でメニューができる。お客さんと話して、生きているものを殺して、焼き鳥なら鳥を殺して、食べて、っていう。なんでもあり。BGMもあったりするから、なんでもありの総合的な、毎日が勝負の、とっても面白い業態。僕はそう思うけど、みんなわかってないよね。本当にすぐ儲けようとしたりする人ばかりで。儲からないけどね、そういう風にやるとね。お金ばかりかかって。でも、とても面白い業態なんだな、特に飲食はね。

 お金儲けよりも、好きなこと、面白いこと、楽しいこと。それがかえって、利益を生む。手塚さんの一貫した姿勢が伺えます。

【「壊せ!吉祥寺を壊せ!」】
 ゼミ生から見たら、手塚さんは「吉祥寺文化の作り手」。個性的な商店が多くある吉祥寺の商業文化を生み出してきた方だと考えています。ですが、手塚さん自身の意識は異なっていました。

 街、文化。多分ほとんど理解していないと思いますね。概念としてよくわからない。たとえば街というのは、なんか「吉祥寺」ってみんな言っているけれど、吉祥寺ってどこにあるの?どうもこのあたりらしい、ということしかわからなくて。
 文化っていうのがあれば…僕非常にひねくれているので、「壊せ!吉祥寺を壊せ!」というそういうポジショニングだと思いますね。

【手塚さんの吉祥寺分析・吉祥寺リアル】

写真3:「吉祥寺リアル」の中身。結論が3点でまとめられています。(撮影:市島)

 一方で手塚さんは、吉祥寺の現実に着目し、吉祥寺の街や吉祥寺ではたらく人々の問題点を取り上げる活動も行なっていました。

 「吉祥寺の街ってどんなものなんだろう」「ここで働いている人はどういうこと考えているんだろう」ということで、「吉祥寺リアル」という冊子を作ったんですよね。お店をやっている人や美術館の人、あらゆる人に覆面でインタビューして。これからこうなるぞという、ちょっと予言みたいな形になっています。吉祥寺の街ってどういう問題が起きているのかというのを、意外と真面目に、わかりやすく図解して。最後は、三点に絞って結論を出している。

 「吉祥寺リアル」を読んでみると、結論の一つ目として、「吉祥寺のまち全体が『サンロード化』している」。吉祥寺の地価の高さから、テナントが定着せず、個店が激減していて、チェーン店ばかりになってしまうことを問題視しています。そこで、若いやる気のある人と、使い手のない物件を結びつける組織づくりとして、「吉祥寺R不動産」を提案しています。
 二つ目としては、「大きなイベントから小さなイベントへ」。小さなイベントを推奨しています。これに関して、手塚さんは自由が丘で行われている「自由が丘女神祭り」について、語ります。

 「自由が丘女神まつり」はとんでもないイベント。すごい盛り上がっているんだけど、小さいテーブルの上に、おばちゃんがゴミみたいなものを出すだけ。だけど、みんなでやればうまく行く。というので、僕はハモニカ横町の朝市をやることになった。これだけはうまくいったね。

 三つ目としては、「『まちづくり株式会社』をつくろう」。行政や助成金に依存せず、まちの人々が自ら吉祥寺のあり方を考える「自立した資金に裏付けられた組織」の必要性を訴えています。

 1989年くらいに地方都市が全部ダメになったので、国がお金を出して、「株式会社作って何かやれ」って言って、みんな作ったけど、ほとんど失敗している。これをもう一回やったらどうですか、っていう提案をして。「NPO法人ハモニカ横町東京」っていうのを僕はやっていて、最初に市から20万円くらいお金をもらった。全然足りないけどね。

【ハモニカ横丁を作るんじゃない、横丁で遊びたい】
 「吉祥寺リアル」の協力者・白石さんは、「MOMENT」という雑誌でデトロイトのレポートの執筆者。手塚さんは、武蔵野市とデトロイト、そしてハモニカ横丁を比較しながら語ります。

 デトロイトってひどくなる前にやっぱり暴動が起きたり、エネルギーがあった。武蔵野はデトロイトほどひどくないけど、何もないんだよね。
 ハモニカ横丁はね、吉祥寺の中ではひどいんですよ。戦争に負けたあと闇市になって、闇米を売り、泥棒がいて、売春があり。戦争に負けて、1945年から1947年の間、帝国憲法というのはなくなっちゃった。1947年に日本国憲法ができるまで、日本って法律のない無法地帯だから、中国人とか韓国人が日本人を殺してもOKなんです。僕がここで何かやれるかなと思ったのは、真っ暗でシャッター通りだったからなんです。そういうところなら、なんかできそうだなと思うタイプなんですよ。
 だけど武蔵野は、なにもないけれど、何かできそうだなという感じがしないんだよ。なにか中途半端にみんな生きているから。何が言いたいかというと、吉祥寺の街がこれだけ盛り上がったのは、バブルのような時代、デパート全盛時代に伊勢丹、近鉄、東急、パルコを誘致できたから。普通、地方に大手スーパーが入るとなると、商店街がみんな反対するんですよ。吉祥寺がしないのは、貸しているのが商店会長だから。それで、するするっとデパートが5つくらいできて。ちょうどデパート全盛時代だから、デパートに行けば、なんでもある。「百貨店」だからね。でも、もうデパートが終わりじゃないですか。デパートってどこも同じだし、日本中同じデパートだらけになって、もう駅前のデパートがコミュセンになる時代だから。デパートが終わると、吉祥寺の街も終わるんですよ。それで残ったのが、このわけのわからないご飯屋をやっている横丁だけ。行くと、毎回「なんだこれ、こいつなに考えているんだ」と、訳のなるべくわかられないように、謎のように、でも魅力的に横丁を作る。作るんじゃないな、横丁で遊びたいなという風に思っているんですよ。

 「横丁で遊びたい」という表現。あえて「作る」という表現をしない手塚さんには、「文化を作る」ということに対する批判的な考えがありました。

 文化ってちょっと気をつけないと危ない言葉ですよね。文化とか文明とか。
 六本木ヒルズの開発は、全部さら地にして、そこに建物を建てて、いろんな世界からものを持って来てやって、人間がすべてを支配できるって勘違いしている。と、前はボロクソ言っていた。実際には森さんという人は、本を読んだらなかなか面白いおっちゃんでね。森さんというのは六本木に生まれて生きていた人なんだね。だから地元の開発なんですよ。そういう視点を知らなかったから。
 つまり、何かを作れるんだ、コントロールできるんだという風に思ってないんですよね。そう思って三鷹に横丁を作ろうというのは、根本的に失敗しているんですよ。はじまってから気がついた。これはだめだ。

【すっぽんと手塚さん】
 新しいことへ挑戦する勇気がどこからくるのかお伺いすると、幼少期のとある経験からヒントが見えてきました。

 何やるにしても、収支はトントンで合わせないといけない。僕は宇都宮の繁華街の手塚すっぽん店っていうすっぽんの生き血を飲ませたりカエル売ったりする変な店で生まれ育ったから人から変に見られるのにはすごい耐性がある笑。だからあんまり人のこと気にしないで生きられるように鍛えられたと思う。中学校の同窓会に行った時、僕生徒会長やってたんだけど、同級生が僕のことなんて読んでたかその時初めて知って。僕のことすっぽんと呼んでいたらしい笑。ひどいね〜笑。話は飛びますね笑。

【カウンターの外側と内側でこんなに変わるんだ!】
 続いて、まちづくりに関わりたいと思う若者にやってほしいことを語ってくださいました。その答えは極めて明快でシンプルでした。

 まちとか横丁を見るのもいいけど。僕はハモニカキッチンで焼き鳥屋を始めた時、カウンターの外側と内側でこんなに変わるんだ!って思ったね。だから、学生がきた時にはてっちゃんのカウンター立ってみることを提案してる。専門とかに拘らずに具体的な何かをやった方がいいんじゃないかと思う。特に吉祥寺リアルを作った時は大学の教授が来て、二十人ぐらい集めて4、5時間街をブラブラしてこの街がどうたらこうたら書くけど、それより自分で一軒の店やってみろよって。それで何週間かやった学生さんはいましたね。こう、専門的なことより何か具体的なことをやってみるといいんじゃない。だいぶ景色が変わるよ。

【タダの店をやりたい
 話題は、今度どんな店をやりたいかへと移りました。

 今度ね。まだお金のとことか決まってはないけど、「クラブダダ」っていう店を作ろうかなと思っているだよね。くだらないけど、本当は食べても飲んでもタダな店を作りたい。1日ぐらいならできそう気はする。あと29日は普通にやるけど笑。できれば今コロナだからオーナーが家賃も1日分ぐらいはタダにして、メーカーに協賛させて食材もタダにして、その日はただで食ったり飲んだりできる。内装はまた隈さんにお願いして。

 みんなお金で考えているから、ダダってなったときにあえてなんでタダかは言わないで、なんでタダで食べれるかいろいろ考えて欲しい。資本主義とか。ただで食っていけたら最高だよね笑。それを僕が一軒やる。さらに、30店舗契約してただの店があれば毎日タダで食べられる笑。面白いと思う。けど浮浪者がたくさんくるかも笑。でもいいよね。
 だって、僕小学校の時、工場がオートメーションになって人がいらなくなるって聞いて二十歳の時には働かなくてよくなるかと思ったけど全然逆だった笑。どんどん忙しくなった。AIだって結局忙しくなっちゃう。退屈でしょ、暇でしょ、ただでしょで徒党を組む。好きにアナーキーに生きていけばいいのに。ただの店作ったらぜひただの店員やってください笑。

【思いつきだから失敗だらけ、収支ギリギリ笑】
 アイデア豊富な手塚さんはどうやってアイデアを考えているのか気になりました。答えは、以外にも“考える”んじゃないというものでした。

 考えるってどこで考えているかよくわからなくて。自分の中では概念で言葉で積み上げているんじゃなくて。ずーと多分考えていて、思いつくのはいつもシャワーを浴びている時なんだよね。アイデアがふと思いつくというか無意識の時に出てくる。それは考えるんじゃなく本能的に情報を練っているだろうね。でも、実は常にアンテナを貼ってないと見えなんだよね。

 結局思いつきは思いつきだから。やってみてうまくいったな、失敗だなととうこともある。三鷹の横丁とかも。井の頭線の鈍行に乗っていて久我山あたりでそこはパチンコ屋の跡で。84坪を84万ぐらいで結構安いなと。その時ちょうど横丁のインタビューシリーズをやっていて三鷹に横丁あったら行けるかなと思った。でもこれがバカだった笑。その時思いついただけだった。お金はかかるわ。でもそんなもん。やってみないとわからないことをやりたい。やらなくてもわかることはやりたくない。潰さないためにギリギリでも収支を合わせないといけないから計算はしているけど、でも全然計算できてない。全然儲かってないとよく言われるね笑。

【応援と理解あってこその収益】

 やってみないとわからないことをやれて、でもそれをある程度収支を合わせるということはそれを喜んでくれる層もいるっっていうこと。つまり、収支を合わせるということである以上、理解とか応援とかがないとやれない。一人でやることではない。会社は利益があるというだけどそれは応援してくれる人がいるいうことだよね。
 でも、この資本主義の中でその利益だけをゲームのように追いかける人もいる。そういう人たちが大金持ちになっている。でも僕はそれはあんまり面白くないと思う。お金なんてあったって。僕は既に毎日飲んでるからこれ以上飲めないし笑。今一番困っているのは8時以降飲むところがない笑。どうしてくれるのかと思って代わりに自宅で高いウイスキー買ってみたりしたけどそれじゃやっぱりおもしくない。人と飲まないと面白くないよね。

【世界は面白いものがたくさんある】

 見に行った時何が見えるかが勝負だね。例えば、僕中国に行ったとして日本で売れるものは圧倒的にわかるんだよね。それをずっとやっているわけだから。中国のやつが持ってきても売れるわけないじゃんってのもある。ずっとうちに残っているものがある。海外にいってもある世代では見えるけど時間が経たないと見えないものとかたくさんあって。この前フチガミさんっていう建築ジャーナリストのツアーでキューバに行ったんだよね。

 でも田舎だからね。僕田舎嫌いなんだよね。街の中で暮らして夜は飲めないとダメっていうタイプ。帰りがカナダのトロント経由だったんけど、ミース・ファン・デル・ローエっていう建築家がいて本や理論では知っていたけど、彼が作った実物を初めて見て、いやーこの人こんなすごいんだって思った。キューバはあんなもんだったけど、キューバはあの、自殺した小説家、ヘミングウェイか。パブに毎日いってダイキリ(ラムをベースとするショートドリンク)の作り方よーく見て録画してきて。でも面白かったかな。普通見られない建築を見られたしね。世界は面白いもの・人たくさんあるよね。

【これいけるなってというのは1年のうち1個か2個ぐらい】

 これいけるなっていうのは1年のうち1個か2個ぐらい。あとはやってみないとわからない。お店では2割ぐらいの商品が8割の売り上げを作っている。つまり80%は失敗する。ほとんど失敗なんだよね。だからミーティングの時売れない80%について売れないじゃないかなという話をするよりも売れる20%をどうするかの話をしないとね。だから、相当のことは無駄なんだよね。それは当たり前だよね。でもビデオをやっている時、5年前にこれわかってたらすごい儲かったかなっていうことはたくさんあったけど笑。今なら当たり前だけどその時は思いつかないんだよね。でも僕がすごい儲けてると思ってるかもしれないけど、手塚と仕事とすると大変だ、2度としたくないって奴もいる。僕あんまり儲けないんだよね。お金のために動くということが考えられない。

【下降思考なんですよ】
 話題はお店運営の話へ。手塚さんがご自身を語る上で大事なのは“下降思考”だと言います。

 ただ、お金のために動くネパール人をたくさん雇ってはいるけど笑。うちはネパール王国みたいになっている笑。ネパールの平均年収ってどれくらいだと思う?。1万二千円なんだよね。それがうちに来ると月収30万ぐらい。200倍ぐらいになる。君が10万もらってたら2000万になる。だったら働きに来るに決まってるじゃん。それを移民がダメとか。かわいそう。

 あと僕のことで大事なのは僕は上昇志向じゃなくて下降思考なんですよ。もっともっと水商売とかなんかにに行きたいんだよ。その人たちと一緒に仕事をしたいと思ってるけど。日本は自民党で移民反対なんだよね。同一労働同一賃金って日本人だけの話。その概念自体が狂ってるけど。よくわからない。同一労働なんてあるわけないじゃん。みんな違うから。
 いろんな人が自分の給料を時給に還元するなんだよね。これマルクスが考えたなんだけど、それおかしいよね。僕一回も就職したことないですよ。月餅屋でバイトしてたけど6時から11時ぐらいまでやってたけど何度時計を見たか。この時間奴隷のようなだな。囚人のようだな。と思ってたけど違った。でもその時もっと楽しまないといけなかった。この月餅をどうしたらいいか、どう売ったらいいかと。その月餅屋潰れちゃったけど僕が考えてたら潰れなかったかもな。だからバイトしている人にみんな言ってるだけど、つまらないと思ったらやめた方がいいよって言ってる。人生短いから。コンビニも最近スタバみたいにしゃべる人が多くなってきている。あれ喋れって言われるらしい。だからなんでも退屈だけどなんでも楽しんだ方がいい。つまらなかったらやめろってね。

 外国人を採用するのは彼らのためでもあり自分のためでもある。僕下降思考って言ったけど、あなたたちは綺麗な仕事しかしないでしょ。綺麗っていうのはなんというかありきたりな感覚で。でも現場に立ってみるとこの中でできることは本当に多いし面白い。面白いと思う人そんないないかな。僕が生きているうちに外人がもっと自由に働けるようにしてあげたいっていうか。2月にアジアンフードフェスティバルってベトナム、モンゴルなんかの人が自由に作る。面白いですよ。前三鷹でやったんだけどわけわからないものを作って、最後はモンゴル相撲とかやる。言葉がわからない日本に来て働くってハングリーの度合いが違うよね。

写真4:手塚さんが企画した外国人スタッフのイベント(撮影:橋本)

【僕ね作るっていうより壊したい。つぶせ吉祥寺みたいな笑】
 以前ある記事の中で、アートをお店に取り入れたいと手塚さんがおっしゃていたのでそれについても現在の考えをお伺いしました。

 アートでっていうのは僕の意味ではわからないものっていう意味合いかな。そういうわからないものを街の中に投入して少しかき回したい。僕ね作るっていうより壊したい。つぶせ吉祥寺みたいな笑。そういう意味でパワーになってくれるみたいな人は欲しい。そこの入り口の作品は「やぶのけんせい」っていう人が作ってくれたんだけど、何かはっきりしたものがないとダメだから頼んだんだけど。そこにあるやつ(写真5)、発泡スチロールで組み立て作ったらさ、ここから出せなくなっちゃった笑。だからまたお金をかけて切ったんだすよ。そうしないとここから出せない。アーティストも俺もなんも考えてないんですよ笑。すごいお金かけてやっても。面白い笑。ナマズみたいだよね。

写真5:写真左手の黒白の作品(撮影:橋本)

【生きている間は横丁で面白いことをやりたい】
 将来の横丁はどうなるとお考えを伺いました。

 将来的には何にもなくなるでしょ笑。でも生きている間は横丁で面白いことをやりたい。去年は自分でまた焼きとり焼き始めたのが自分としては面白かったことかな。

【吉祥寺で飲食店を営むということ】

写真6:ハモニカ横丁(撮影:橋本)

「吉祥寺はわかりやすいものだけになると、ダメになる」と以前雑誌で語られた手塚さん。ハモニカ横丁が吉祥寺にあるということに対して、手塚さんはどのような考えを持っていらっしゃるのか。
 まず文化人が集まる吉祥寺の場所性について、「なぜ吉祥寺なのか」に対するご意見を伺いました。

 僕がやっているお店は、横丁の中での立つのみコーナーを作れるようにして、ふらっと入って来てやあといって気楽に飲んで話す、そういう形に結果的になっているから、ongoingの小川さんとかそういう人たちが集まってくるんじゃないかと思っている。あそこで飲んでみたいって思ってる人たち。で、それが吉祥寺にあるっていうことですね。でも、吉祥寺の現状として、デパートがダメになっていって、家賃も高いんですよ。で、吉祥寺に一番何が足りないかっていうと、ちょっとしたイベントをやるスペースですね。情報とか面白いものを持った人たちが集まることのできる場所があればいいなとは思います。そういう人が集まらないとやりようがないですからね。自由に使える商会所があったらいいと思いますけどね。いろんな企画をやるし、イベント好きなので、とにかく常にイベントなりなんなりをやりたいから、場所が欲しい。本当にないんだよねえ。

 現在の吉祥寺について、自由に使える場所が欲しいと話される手塚さん。その実現が一筋縄ではいかないのは、なぜなのか。例えば、一つの解決案として、行政の協力を仰ぐことがゼミ生の中から挙げられたが、手塚さんからは経営者としてのリアルな本音が出た。

 何かを実現していく際、行政と協力するというよりは、行政に邪魔されない付き合いをしといたほうがいいですよね。行政は新しいことを嫌う前例主義だし、助成金は出してくれるけど、でもその助成金がなくなったらもう終わりだからね。奄美のアンテナショップとかでもそうで、半年しかやらなかったけど、それから二年間僕は独自でお金を貯めて、赤字でやってます。やっぱり助成金でやると助成金が尽きると終わっちゃうから、何かトントンになる方法を見つけないといけない。奄美の場合は黒糖焼酎とかでしたね。

 更に、横丁の飲食店が、なんらかを志す人々の集まる場になりうるのではないかとの質問が。しかし、そうはいかない吉祥寺の複雑な背景があるという。
 それ(横丁の飲食店が面白い人たちの集まる場になるということは)はない。家賃が高くて飲食くらいしか成立しないし、挫折して出て行く店も多くて、何年もかけて少しずつお客を増やして行くというよりも、居抜き物件ですぐお金を稼ごうっていう流れになってるからね。粘らないでやめる。
 家賃を下げようっていう運動も中々生まれないですね。コロナでちょっとは下がるかもしれないけど。うちが仲介すれば家賃もっと高くしますよっていう、賃料を意図的に?あげている不動産屋もいて、そりゃ高くなるよね。大家さんとか不動産の人は吉祥寺がこういう街になればいいなとか考えてないから。だからスモールの実験とかがうまく行くといいんですけどね。

(土地を借りるのではなく買ってしまうのはどうか、という質問に対して)
 そういう発想もないですね。吉祥寺の北町の駅前からそこの通りまで全部月窓寺が持っていて、貸してるわけですよ。団塊の世代だから所有するのを嫌うっていうのもあるかもしれませんがね。でも買うってなると、一、二坪3000万くらいするからね。
 ハモニカ横丁でうまくいかなくなって出て行くことも、しょうがないでしょうね。東京理科大の女性が横丁のレポート書いた時に、「そのことが実はこう会社みたいに、いつも新しいものがあるように見えている」とかいてましたけど、それは本当だと思いますよ。タピオカ屋とかチケット屋とかありきたりなものが入りだすよね。
 不動産そのものを金融商品みたいに不動産屋が使うから、それがダメなんだろうと思うけどね。でも不動産屋はこういうんですよ、「だって資本主義の社会なんだから、高く買うのでそれでいいじゃない。何が文句あるの?」って。平気でいう人がたくさんいて、その金額が大きいから、そうなっちゃうんだろうね。今回武蔵野市は、住友不動産が、三鷹の北の駅前から駅前まで、持ってた人が死んじゃったんですよ。それを全部買い占めていって、全部マンションになりますよ。

 最後に、吉祥寺の不動産の多くを所有する月窓寺に対して、手塚さんに思われることを伺いました。少し扱いづらく繊細な問題で答えにくい質問ではありましたが、手塚さんの口からは率直な思いが綴られました。

 1日800万かそこらでしょ。月窓寺が、どうせ税金だって大したことないけど、たくさんお金あるんだから、もうちょっとまちづくりにちょっとでも(貢献)すれば、簡単に変わるよね。僕の知っているコネクションの様々なところで、もしかしたらたくさん集まってきて、いろんなことをやれるのに。まあやってないということではないんだけど、なぜやらないかっていうと、昔大家さんたちが地代下げろっていう訴訟を起こしたんですよ。結局大した結果にはならなかったけれども、それ以来月窓寺は街に一切関わらなくなりましたね。難しいよね。でも、少し変わってきてるのは、コロナ禍で一年間地代を20%まけたんだよ。大家さんにね。

 なぜ吉祥寺なのか。この難しい問いに対して明確な答えを出すことはいま現在ではできませんが、手塚さんの言葉の節々からは、長年吉祥寺で店を営んできたからこその吉祥寺に対する複雑な思いや背景を大いにうかがうことのできたことは、大きな成果であり、同時に非常に印象的でした。

【手塚さんのエネルギーの源はどこから】

写真7:インタビューの最後に、なぜ今まで勢力的に活動を続けてこられたのか、そのエネルギーは一体どこからくるのか伺いました。

 僕商売人っていうか、具体的なものじゃないとなんか面白くないんだよね。具体的に何か動かすとか何かしないと。そのエネルギーはむだにありますよ。面白いっていう気持ちからくるというより、これはとにかく吉祥寺で商売やる時に、この町どんな街だっていうのを調べなきゃいけないっていう感覚が一番近いですよ。それとさっき行ったようにいろんな大学教授が10人くらい連れてきて4、5時間くらい「この町はこんな街だ」とかいうから、それはいかがなもんじゃない?って思うね。やっぱりその場にいる人に話を聞こう。今回は武蔵野のね。吉祥寺ほど武蔵野ってポテンシャルがないんだよな。

 それ(現状あまり発展していなくて、家賃も低い吉祥寺以外の場所に行って、そこの土地を借りるなり買うなりして、面白いことをそこで何人かの仲間と一緒にやっていくっていうこと)も中々ね。原始的に考えたときにどういうことになるのかっていうことを時間をかけて考えたりした方がいいんじゃないかな。時間の中で思いつきにくいし。チャンス。うん、でもそういうこともあってもいいよね。いつもなんかやったり、気楽で面白くて。

終わりに
 このインタビューの班員は当初、ゼミのテーマである市民文化に対して、「積極的・組織的な市民文化は多くの人にとって遠い存在なのではないか」という問題意識を持っていました。より一般市民の文化に近しいのは「商業文化」、即ち営利目的のコンテンツを創造・連携し、結果的に街の文化形成に貢献している取り組みなのではないかと考え、商業的な営みが「文化」として寄与し始める過程を明らかにすることを一つの目標としていました。そのような思考の中でインタビューの候補に上がったのがハモニカ横丁の仕掛け人と呼ばれる手塚一郎さんでした。

 インタビューの中では、手塚さんの吉祥寺に対する思いから、手塚さん自身の独特な考え方まで、およそ2時間半に渡り多くのお話を聞くことができました。非常に有意義で、かつ楽しくお話しさせて頂きましたが、記事を書く段階に至り、ある種の違和感を覚えました。というのも、このゼミは武蔵野市を対象に文化をアーカイブすることをテーマにしていたので、私たちの意識の中にはどうしても「武蔵野市」「吉祥寺」の文化が大元にありました。その為、そこを出発点としてインタビューの為の準備をしていったのですが、いざインタビューを終えてみると、手塚さんの意識の中には、「吉祥寺の文化に寄与しよう」という意識はあまり見えず、むしろ「壊せ!吉祥寺を壊せ!」というポジショニングであるというお話の印象が強く、手塚さんの活動の場が、吉祥寺であったと考えた方がより適切なのではないか、そのように感じています。

 冒頭で触れた様に、このゼミのテーマは「地域が文化的とはどういうことか」ということでした。私たちがこの問いに向き合い、そして一定の答えを見つけることは、手塚さんのインタビューを終え、この記事の編集も大詰めを迎えている今現在でも、易しいものではないことを実感しています。

(市島)
 「地域が文化的であるとは」という問いに答えを出すことよりも、取り組む過程に大きな意味があるのではないか。実際に地域で暮らす人々にとっては、文化は「作ろう」とするものではなく、活動をする中で「いつのまにかそこにある」もの。文化を「こういうもの」と決めつけてしまうと、それは活き活きとした文化ではなくなってしまう。だからこそ、今回のインタビューのような「生の記録」が大事なのだと思う。

(橋本)
 2年ほど吉祥寺を最寄り駅とした一人として武蔵野市・吉祥寺は文化的だなという漠然と感覚がありました。その感覚は、何か面白いことをしよう、何かにこだわろうという雰囲気をお店から感じていたではないかと今回のインタビューを通じて気づきました。というのもインタビューでは手塚さんの面白いことをしようという姿勢が本当に終始印象的でした。そしてそんな姿勢が形になったハモニカ横丁を多くの人が楽しんでいるという風景は一つの文化的と言えるであり、そのような好奇心や冒険心持った人がその地域にいることで、文化的と感じられる地域になるのではないかと思いました。また、地域が文化的であるとはどういうことかという問いは、その答えを探す過程でいろんな視点で街の魅力を見つけることができるものでした。

(頼岡)
 「文化的である」ことの明確な定義はなく、結局は世間一般から「これは文化的だ」と認識されているものがあるかどうかが文化的であることの基準ではないかと考えていましたが、伝統ある「文化」も比較的新しい「文化」も、最終的に自分がその地域に対して何か文化的な価値を見出せるかどうかが、最終的な判断になるのかと感じました。

 まとまりはありませんが、これが、この一年間、ゼミ内の活動や手塚さんへのインタビューを通じて得た私たち一人一人の答えです。元々「文化」「文化的」という言葉ですら定義が難しく、すぐには答えの出ない問いに向き合い続けるのは簡単ではありません。又、この記事の完成が一つの区切りとなりますが、今後も「地域が文化的であるとは」の答えを様々な面から追求していける機会を逃さない様にしていきたいです。

聞き手/編集・文責
東京大学文学部4年生:市島妃乃
東京大学経済学部3年生:橋本涼太郎
東京大学文学部3年生:頼岡由梨奈