大橋一範さんインタビュー〜週刊きちじょうじ編〜

1975年の創刊以来、武蔵野市の生活情報をコンパクトに伝えてきたフリーペーパー「週刊きちじょうじ」。46年間に及ぶ発刊を支えた持続可能な制作形態、メディアが活きる街としての吉祥寺像について編集長である大橋一範さんにお聞きします。また大橋さんのライフワークであるメディアメイキングの姿勢についても伺います。

「吉祥寺村立雑学大学」に関するインタビュー記事はこちら→大橋一範さんインタビュー<雑学大学編>

「大橋さんと武蔵野市」に関するインタビュー記事はこちら→「武蔵野市メディア文化のレジェンド」大橋一範さん

週刊きちじょうじ2398号表紙(週刊きちじょうじ公式HPより引用)

1.週刊きちじょうじとは?

吉祥寺周辺の地域ニュースや行政情報、店舗やイベントの情報など幅広い生活情報を掲載しているフリーペーパーです。1975年に創刊されて以来、NTT全国タウン誌大賞を受賞するなど全国のタウン誌の草分け的な存在となりました。代表である大橋一範さんは武蔵野市のメディアの場づくりに精力的に取り組み、日本タウン誌会、東京TAMAタウン誌会設立・役員等にも参加されています。週刊きちじょうじのバックナンバーの多くは、公式ホームページにて公開されており、最新号も確認することが出来ます。

週刊きちじょうじ公式ホームページ:http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/

(週刊きちじょうじ公式HPより引用)

2.週刊きちじょうじが生まれるまで

小学生の時に放送部を務めたことを皮切りに、中高大と情報を発信することに関わってきた大橋さん。週刊きちじょうじ創刊の背景には、メディア漬けだった十代での経験に加えて、米国での成熟したローカルメディアとの出会いがあったようです。

「大橋さんとフリーペーパーの出会い」

大学時代に所属していた新聞研究会の様子。大橋さんは写真右下。(大橋さんより提供)

メディアへの関心が芽生えた10代を経て、1972年に留学で訪れたロサンゼルスでフリーペーパーに出会われたそうですね。

そうですね。 基本的に、アメリカ社会というのはローカルメディアが中心なんですよ。今はナショナルワイドにやっているけれど、ニューヨークタイムズやシカゴトリビューンとか有名な新聞には町の名前がついているでしょ。フリーペーパーが古紙を回収する人が持って行きそうな状態で、各ブロック単位で積み上げてあって。それを持って帰るって感じ。日本語は、漢字・平仮名・カタカナがあるから大変だけど、アルファベットは24文字だから、数字を揃えれば簡単に新聞ができたんだ。だから、地域のジャーナリズムが作りやすかった。今は日本でもパソコン1台あれば誰でもできちゃうけどね。

-帰国後すぐに武蔵野市でのメディア作りを始められたのですか。

いや、そうでもないのよ。沖縄で海洋博が始まる頃、PRエージェントをやっていた一年上の先輩に「大橋手伝ってくれないか」って言われてね。海洋博を始めるための広報活動で英語とフランス語のBulletin(会報)を作ってたの。

-海洋博での広報活動をきっかけに、日本におけるメディア作りにご関心が?

いや、やはり元々日本のメディア環境というものに興味があったから。アメリカは各コミュニティ単位のローカルペーパーが盛んになっていたけども、東京のローカルペーパーって無いでしょ。新聞などの報道と違って自分が参加できる情報、要するに「今日のランチ何しよう」っていう時に使える情報が東京にはない。そこで出てきたのが、ぴあとかシティロード。ぴあも、色々なイベントや演劇集団とかライブをやってる人たちが自分たちの広報する手段がなかったから、それを一冊にまとめたところから始まっている。そのコミュニティ版、自分の生活エリア版の情報誌作ろうと思った。

3.週刊きちじょうじのコンセプト

70年代に興隆したフリーペーパーやタウン誌がネットメディアによって取って代わられるなか、週刊きちじょうじは46年間にわたり約2400号もの刊を重ねてきました。その歴史は綿密な戦略によるものというより、様々な巡り合わせや、肩肘張らない柔軟な立ち回りによって形成されてきたようです。また、地元のフリーペーパーでありながら、地域の人々・諸団体、他のフリーペーパーと一定の距離を保つことで、メディアとしての中立性や独立性を維持してきました。

「週刊きちじょうじが根付いた街、吉祥寺」

なぜ発刊地域として武蔵野市を選ばれたのでしょうか

たまたま住んでいたから。本当はこういうメディアを渋谷や銀座でも作りたかった。要するに、歩いていける範囲のメディアが作りたかった。パートナーがいてね、彼はもっと大げさな形で始めようと思っていた。でも株主たちは(小さい規模から初めていく)僕の案を取って。

結果的には46年にわたり刊行が続いているわけですが、タウン誌が根付く地域として吉祥寺がふさわしいとお考えだったのでしょうか

いやいや。思ってないよ。しょうがなくて吉祥寺っていう。メディアを作るって言うと、組織やお金や人脈とかってのがないとできない。有名なメーカーが作ったフリーペーパーがあり、我々メディアの研究会をやってて 、社長に来てもらって色々話しを聞いた、与えられた予算が2億円。 2億円あったらある程度のスタッフを集められるじゃない。私にはそういう予算なかったから。あとは、パートナーがいるっていうのも大事。僕にも最初いたんだけどいなくなっちゃったから。だから、チャンスメイキングの時は人生のなかでも色々あるんだけど、その時にチャンスがうまく掴めなかったというか、合わなかったんだよね。

吉祥寺で活動を始められたとき、どのような印象を抱かれていたのでしょうか。

人が中心の街っていうイメージがある。それと共に高学歴社会もあって、それを目指している商店街があって。ある程度商店街がないとタウン誌ってのは出せないじゃないですか。そういう意味で最小限のメディアは成り立つかなと思って始めてる。

週刊きちじょうじのターゲットにしたのは、生活・文化水準の高い方々だったのでしょうか。

いや、あんまりそういうこと考えてない。週刊きちじょうじがメインとしているというのは、日程表、要するにタイムスケジュール。インデックスメディアですよね。何か行動を起こすときの参考になればよくて、「詳しくは自分で電話をかけてね」って感じ。

「街における立ち位置中立的なメディアとして」

週刊きちじょうじは行政との関わりはあるのでしょうか。

あるっちゃあるし、ないっちゃないし。週刊きちじょうじを始めるときに「武蔵野市はこういうのには一切お金出しませんからね」って言われて、「わかったよ、もらうもんか」みたいな形で始めた。でも20周年の時かな、その当時の市長が「おまえ20周年ってなんかやるのか。やるんだったら金出してやるから。」って言うんだよね。それで地域メディアシンポジウムってのをやったよ。だからっていって政治パーティーとかは一切出てないね。事務所に行くこともないし。そういうのは向こうも分かってるし、お前メディアとして常に中立なんだなって言ってるから。

商店街とはどのような関係を保たれているのですか。

神輿同好会っていう吉祥寺全体の統一神輿には属している。この統一神輿の法被を着ていれば、お祭り関係はフリーパスでどこでもいける、お祭りの写真を撮るのにそれを着ていた方がいい。神輿同好会のくせに、一度も神輿担いだことないけれど(笑)

メディアとして中立的な立場で諸団体と関わられているんですね。

そうそう、どんな団体とも等距離にいたいとは思ってるから、中に入るっていうのはあまりしてないね。

4.週刊きちじょうじの運営体制

長い歴史を持つ週刊きちじょうじは、月刊誌のように記事の質にこだわるというより、インデックスメディアとして毎週生活情報を届けることを重視しているようです。このコンセプトは変えないまま、時代に合わせて少しずつ形式や過程を変化させてきました。

「”週に一度”のサイクルを回してきたミニマムな運営体制」

運営メンバーは何名ほどいらっしゃるのですか。

ある程度経理であるとか、デリバリーしてくれる人はデリバリーの専門でいるけれど、極端に言えばほとんど僕一人。何かに関わった人がいたら「じゃあ原稿書いて送って」って言うと、その人たちが送ってくれる。だから、「場」の提供は行なっているけれど、中身にそんなこだわっているわけではない。

週刊きちじょうじの広報活動はどのように行っていらっしゃるのですか。

営業活動をやってない。だから消滅する運命にあるんだろうね。要するに、人を雇うってことは人件費がかかる訳でしょ?だから給料の五倍稼いでくれるような人が3人ぐらいいればね、十分成り立つんだけども、そういう人ってそんなにないから。そういう能力のある人ってのはだいたいうちから卒業していく。だからうちの卒業生ってずいぶん多い。

その卒業生の方の中に他の街とかでローカルペーパーを作っていらっしゃる方は。

ない!儲からないのわかってるから(笑)プリントメディアって、週刊誌にしたって新聞社系の週刊誌にしたってみんな経営的には赤字なんだよね。

メンバーの男女比はどれくらいでしょうか。

女性の方が多かったんじゃない?所謂コミュニティにおけるアクティビティの中心ってのは女性なんですよ。要するにPTA社会ってのは、女性が中心でしょ? 今は女性が働いているのもすごく多いんだけれども一般的にいうと家庭に男性が残っているっていうケースは稀だったもんね。特に武蔵野市は、千代田区中央区とか都心の方に向かって働いている人が多いわけだから、(日中は)あまり(男性が)いない。だから情報発信対象も「いる人たち」が中心になる。

情報を発信する側も受け取る側も女性が中心だと。

今でもタウン誌は女性がやるべきだと思っている。僕がやっているっていうのは悲しいことですよ。ただ今は定年退職後の男性もこういうコミュニティに加わってくるようになった。だけど、週刊きちじょうじの中核メンバーとして加わってくれるかというと(そうではない)。ボランティア的に記事を書いてくれたり、写真撮ってくれたりはするけれども、給料を払う人ではない。

「紙面デザインの変遷ー生活に馴染むスタイルを目指して」

週刊きちじょうじの紙面デザインは定型化されている印象なのですが、デザインの変更はされているのでしょうか。

デザインは変えているんですよ、何度も。じゃあ変わったの持ってこようか?(写真参照)

紙面デザインの変遷。写真左から1987年648-649号、2003年1503-5号、2021年2393号。
(大橋さん提供)

--用いられている画像も紙面の大きさも全く異なりますね。

1000号くらいまでは表紙はイラスト。途中から自分で撮ってこられる写真になった。今は写真がメインだから受け取る層も昔と比べて変わってきてるんじゃないかな。一時期A4サイズで印刷したこともあるんだけど、不評だった。なんでだと思う?

--持ち歩きにくいからでしょうか。

そう。お店の人に、あんなに大きいとレジ横の場所を取って困るって言われちゃった。それと、女性はやっぱりこの(A5)サイズじゃないとバッグに入らないから持っていかないって。それだと折っちゃえばポケットに入るでしょ。

--制作過程にはどのような変化がありましたか。

昔はオフセット印刷で、製造工程に約2週間くらいかかっていた。つまり、毎週火曜日に原稿を書いて、それを写植屋さんに持っていって、上がってきたのを紙面にレイアウトして貼り付けて、製版屋さんでフィルムになったものを印刷屋さんに持って行って、それで折り屋さんに行っていたわけ。今はDTP※が可能になって、そういうことが必要なくなったけれど。

※DeskTop Publishing(デスクトップパブリッシング)の略称。パソコンで印刷までのデザイン割り付け過程を行うことが可能。

--現在の制作期間はどれくらいになったのでしょうか。

極端に言えば、一日で出来ちゃいますよ。ちゃんと本気になって、ネタがあって、ただレイアウトして張り込むだけなら。今はなるべく手抜きをしてるから、「書いてって頼む」。雑学大学※(の記事)も喋った人が記事を書くというのが原則になってる。全部取材するとなると大変。小説家なみに最初の1行書くのに何週間悩んだだなんていう中身だったらできないよね。そういうクオリティじゃない。

※週刊きちじょうじには雑学大学の講義まとめを掲載するコーナーがあります。雑学大学については「大橋一範さんインタビュー<雑学大学編>」をご覧ください。

5.週刊きちじょうじの軌跡の先に、新メディア構想

46年間続いてきた週刊きちじょうじですが、大橋さん自身に強い継続の意思があったわけではなく、気負わない制作スタイルによるところが大きいようです。インターネットメディアが主流となり多くのフリーペーパーが姿を消す中、週刊きちじょうじは今後どのように展開していくのでしょうか。

「歴史あるペーパーメディアの前途」

--シンプルで持続可能な制作過程だからこそ、46年間も続いているのでしょうか。

週刊っていうのはね、恐ろしくてね。毎週毎週っていうのはやめるタイミングがないんですよ。月刊だったらとっくに辞めてるだろうと思うね(笑)でも週刊でやってると毎週追われてるわけですよ。やめようって考える暇もない。

--「月刊きちじょうじ」は創刊されていないですよね。

アーカイブ的なものはね、できてくる可能性はあると思う。僕がやるっていうよりも、そういうものを残していきたい人たちがいるわけで。だから、そういうのを集めるだけでもいいんじゃないかと思っている。アーカイブ性っていうのは僕も考えていて、だから「吉祥寺今昔写真館委員会」※も始めたわけです。

※吉祥寺の100年前からに現在に至る1世紀の写真を収集するアーカイブ・プロジェクト。市立吉祥寺美術館での写真展開催や、写真集の発刊などを行なっている。

事務所の様子。膨大なバックナンバーが所狭しと並ぶ。

--現在構想されている改変案はあるのでしょうか。

デジタルの方とどういう風な形を作るかっていうのは(考えている)。ネット関係の会社をやっている息子が、そろそろ週刊きちじょうじを変えたいというようなことを言っていて、zoomで会議を勝手にやっていたりするから。そろそろ変わるかもしれない。

--ペーパーメディアだからこその強みはあるのでしょうか。

紙ってね、メディアとして独立しているんですよね。スマホはバッテリー切れちゃったらおしまいでしょ?それとネットメディアは、ネットワークに依存してるわけ。でも、週刊きちじょうじってのはもうこのままで読めちゃうわけだよね。出来上がったら何にも依存してない存在で生きるから。

週刊きちじょうじがやってきたことに対するアーカイブ的なものはあるから、この辺りがネットメディアとは違って、ペーパーメディアの強みだよ。

「特定媒体に閉じないメディアメイキング」

でも何もペーパーメディアにこだわってない。全てのものをメディアメイキング、メディア開発っていうところから僕は見てる。だからアーカイブということで吉祥寺今昔写真館委員会※も作ったでしょ。それからフリースクール的なものとして吉祥寺村立雑学大学っていうのを作ったでしょ?全てそういう意味。

※吉祥寺の100年前からに現在に至る1世紀の写真を収集するアーカイブ・プロジェクト。市立吉祥寺美術館での写真展開催や、写真集の発刊などを行なっている。


長い歴史を持ち、一見昔ながらのフリーペーパーに感じる週刊きちじょうじは、その中立的でシンプルなシステムゆえに非常に自由なメディアでもありました。大橋さん自身も紙媒体にこだわらず広く様々なメディアの形態に関心を持ち、場づくりに取り組んでいます。今後もペーパーメディアとしての強みをいかしつつ、時代に合わせて柔軟に形を変えていく週刊きちじょうじが楽しみです。

文責:塘内彩月 
編集者:池田寧夢 
撮影者:土井佑夏
聞き手:池田寧夢、江口善宜、土井佑夏、塘内彩月